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盲信と信仰の区別 

ブッダの考えは、「信仰よりも理解」と書きましたが、
信仰がないわけではありません。
信仰すれば救われるという発想がないだけで、信仰そのものはあります。

 では、信仰が盲信にならないためには、どうすればいいでしょうか?
そのためには、事実と論理と信仰の区別を明確に持っておくことが
必要だと考えます。
そして事実を信仰によって、捻じ曲げないことが大切です。

仏教は、ものごとをありのままに見ることを基本とします。
ですから、事実は事実としてありのままに見ます。
事実を否定したら、それは仏教ではありません。
科学的に証明されたことを否定することも仏教にはありません。

しかし、何が事実なのか知ることは、実はたやすくありません。
多くの人は、事実でないことを事実と思っています。
論理的に正しいと、それを事実と混同してしまうこともよく起こります。

仏教は極めて論理的な宗教です。
世界最高レベルの数学力を持つインド人の中で、論争を繰り返して
生き残るためには、論理的であることが求められます。
情緒的に受け取る日本人とは、そこがかなり違っています。

しかし仏典に書いてあることがすべて事実かといえば、そうではありません。
そこには、想像、直観、比喩、矮小、肥大、神秘体験、など
さまざまな記述があります。仏教は科学ではないのです。

科学教の信者は、科学と言われると簡単に信じてしまいます。
仏教は精密な論理で組み立てられているので、それを前面に出して、
科学のように説明、布教、勧誘することも可能です。しかし、
科学的と言われると、中身も確かめずに信じるのでは、盲信と変わりません。

世のなかには、事実が分からず、論理でも証明できないことがあります。
仏教は、分からないことは分からないと、そのままに認めます。
仏教は、ものごとをありのままに見ることが基本なのです。

宇宙の始まりは分かりません。ビッグバンだとすると、
ビッグバンの前は分かりません。
宇宙の果ては、想像することができません。
死後の世界は、証明することができません。

ブッダは、これらの問題に対して、「無記」として答えません。
空海は、これらの問題を「不可得」としたうえで、
「不可得」である存在そのものを引き受けます。

証明ができなければ科学は成り立ちませんが、
証明がなくても信仰は存在します。
そして信仰のあり方はさまざまですが、明確な認識の上に
信仰は成り立っています。

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