無我と輪廻、これは2000年にわたって続く論争の種です。
さまざまな見解があるので、少し整理してみましょう。
1.無我であり輪廻転生する
上座部部仏教(テーラワーダ仏教)をはじめ、一番伝統的な仏教の見解でしょう。
問題は、我(アートマン)が存在しないなら、何が輪廻するのか? という疑問です。
過去の生と、今の生と、未来の生の同一性は何によって分かるのでしょうか?
伝統的に「ろうそくの火が他のろうそくに灯されるように伝わっていく」と
説明されますが、論理的に成り立っていません。
輪廻がDNAによる継承のことだとすると、この説明でも成り立ちます。
ヴィパッサナー瞑想が進めば、無我と輪廻の両方が見えるともいわれます。
しかし論理的でないことには違いありません。
論理では語れない深遠なる信仰の世界である、というのが一番妥当な回答でしょうか。
2.非我であり輪廻転生する
無我ではなく非我(五蘊に我はない、我を語ることはできない)とすると、
語ることのできない何かが輪廻すると考えることができます。
論理的には成り立ちます。
仏教学者には、この立場を取る人が多いように思います。
3. 無我ではなく輪廻転生する
無我でも非我でもなく、我を認めていると思われる仏教者もいます。
(ブッダの説からは明らかに離れていますが)
密教では「自己と宇宙との同一」ということを語りますが、これをもって
自己=我(アートマン)が存在すると考える密教僧もいます。
霊魂は存在すると断言する、かなり高名な密教僧もいます。
死後、極楽浄土に住んでいると考えるところから、我(アートマン)的なものを
想定している人もいます。
極楽浄土は永遠の天国ではないので、また輪廻します。
4. 無我であり輪廻転生しない
これも学者に多い見解です。
聡明で論理的なブッダが、霊魂やら我(アートマン)を認めるはずがなく、
輪廻転生のように確認できないものを認めることはない、と考えます。
わたし達は自己だと思っているのものは、そのような実体はなく、
ただ身心の働きによって現象しているにすぎない。
身心が無くなれば、自己を現象させる働きもなくなるので、自己も消滅する。
と考えます。
輪廻転生は、当時のインド思想が仏教に紛れ込んだものにすぎない、という立場です。
極めて唯物論的な考えであり、論理的には成り立ちます。
しかし、ブッダは唯物論者を批判していたという伝承もあり、
少なくとも仏教宗派からは認められないでしょう。
皆さまはどのような立場を取られるでしょうか?
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