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仏教では輪廻思想をどう考えるのか 2

日本ではお彼岸を始め、さまざまな日本の風習と仏教が結びついているため、
輪廻との関係がややこしくなります。
死んだ人が、今どこにいるのか、あるいはどこにもいないのか、
儀礼と教義を合理的に説明することが難しいように私には思えます。

(最も、宗教というのは元々合理的に説明つかないことが多いので、
それはそれで構わないとも考えられますが。)

これは日本に限ったことではありませんが、来世に浄土に生まれ変わるという思想も、
輪廻との関係がややこしくなります。
浄土とは、仏・菩薩の住む清浄なる国土のことで、来世の浄土、この世界の浄土、
この心に見る浄土、などいくつか考えられます。

ブッダの思想からいえば、この心にこそ浄土を見るというのは、分かりやすいでしょう。
今生きているこの世、現世を重視する密教では、この世界に浄土を見、
その実現ために活動します。浄仏国土などと言われます。

しかし最も信仰されているのは、来世の浄土、極楽浄土です。
特に阿弥陀如来のおられる西方浄土は、絶大な信仰を集めています。

これを本来の仏説(ブッダの教え)とは違うと批判するむきもありますが、
そのような批判をしていた人も、自分の死期が近づくと、阿弥陀如来に
おすがりするということが、よく見られるそうです。

最終的な心の平安において、阿弥陀如来は、理屈を超えて、
絶大な力を持っているといえるでしょう。

インドでなぜ輪廻思想が生まれたのか

 インド人は、当初から輪廻思想を持っていたわけではなく、当初は
「死後に天界へ行き永遠に安楽に生きる」という思想が見られます。
だから、あまり死んだ後のことは心配していなかったようです。
今でいえば、死んだ後は極楽浄土に往き、安らかに暮らせると
信じているようなものでしょうか。

 しかしそうだとすると、この世では次々と人が生まれていきますから、
そのうち天界は死んだ人で満杯になってしまうのではないか、という
疑問が出てきます。

なぜ天界は死んだ人で満杯にならないのか? ということを考えていくと、
どうも単純に、すべての人が死後に天界で永遠に安楽に生きるとは、
言えなくなってきます。

 そこからいろいろな思想が生まれてきます。天界に生まれ変わっても、
永遠に生きるのではなく、またそこで死ぬのではないかという恐れも
生まれてきます。再死を恐れるようになるわけです。

天界で死んだら、次はどうなるのかと考えていくと、天界で死んだ後、
またこの世に戻ってくるという考えも出てきました。
つまり輪廻的な思想が生まれてくるわけです。

輪廻的な思想が生まれてくると、人々は、再死を恐れ涅槃
(永遠の安楽の場所)を求めるようになります。
そのような流れの中で、死後の行き先は生前の行いによって決まるという
因果応報の思想も浸透していきます。

仏教の輪廻思想は、このような思想の流れの中で生まれてきたようです。
仏教では天界の存在はそのまま認めています。
死んだら天界に生まれ変わります。
ただし善き行い、善き心を持った人だけです。

天界に生まれ変わっても、また死ぬかもしれないので、
覚りを得た人は、涅槃に往き、二度と死なないとしました。
ですから、涅槃に往くことを、「不死を得る」と言います。

ブッダの覚りは、
「人生は苦である。覚った人は苦であるこの世界に二度と生まれない。」
と表現されることがあります。

これは、「人生には楽しいこともある」と考える人から、
「仏教は暗い。私はまた生まれ変わりたい。」
と拒否されることがあります。

しかし、人々が涅槃に求めたものは、再死を恐れ不死を得ることだとしたら、
当時の人々がブッダの思想を受け入れた理由も、
納得いくのではないでしょうか?

五蘊とは

「五蘊のどこを探しても、我は無い」という仏教の基本的な考え方に
出てくる「五蘊」について解説します。

五蘊とは、人間の構成要素を、
色(しき)、受(じゅ)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)の
5つに分類したものです。

単純に言えば、色は身体のこと、残りの4つは、
心の働きを4つに分けたものです。

般若心経には、
色即是空、空即是色、受想行識 亦復如是(やくぶにょぜ)
と出てきます。

亦復如是とは、これもまた同じ という意味です。
(これはブッダの直説ではありませんが、わりと有名な言葉です。)

受想行識が、それぞれ心のどの働きを意味しているのかは、
いろいろな説があって、よく分かりませんが、
だいたい次のような感じになります。

受 感受作用。五感が刺激を受けて感知する。
想 認識対象からその姿かたちを分化させ識別する作用、表象作用。
行 記憶想起作用。意志作用。形成力。受想識以外の心の働き全て。
識 判断作用。対象を認識し言語化して概念として持つ。

細かい分類は置いておいて、
感受するということ、そしてそれを識別し、ある概念が発生してくるという
心の動きを認識することは、とても大切です。

それは瞑想の基本となります。

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7月19日(土) 心理療法と仏教・密教瞑想
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中道と苦行

五蘊をあるがままに観ることは、ブッダの修行の基本です。
修行においてブッダは、快楽と苦行を捨てて、中道を歩んだと言われます。
中道は、ブッダの生き方の基本です。

ただし、ブッダは苦行を否定したわけではありません。
ブッダの弟子のなかには、苦行を続けている人もいました。
苦行が好きな人は苦行をしても構わないのです。

また、苦行と修行は異なります。
苦行の中には、ず~と息を止めておくとか、ほとんど物を食べないとか、
死にそうになるものがありました。

苦しければ苦しいだけ、覚りに近づくと考えられていたわけです。
ブッダは、ひたすら身心を痛めつけることは、必ずしも覚りとは
関係がないと考えました。

しかし、修行は必要だと考ています。
修行をしないで、これが中道だと言うのは、ブッダの考えとは違います。

ブッダは苦行を捨てましたが、大乗仏教が起こると、また苦行が復活します。
今の日本仏教界を見ると、苦行主義で厳しい行に挑む人々と、
戒律も修行も無視する人々の、両極端にあるように思えます。

これは伝統的なテーラワーダ(上座部)仏教の修行法とは、
かなり異なっています。

日本仏教の修行法については、大乗仏教の解説のなかで述べる予定です。

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7月19日(土) 心理療法と仏教・密教瞑想
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心理療法と瞑想講座 1

週末に瞑想講座を開催しますので、今週は瞑想についてお伝えします。

仏教瞑想は本来、覚りを目指して、あるいは覚りの現前として行なうもので、
心理療法を主目的とするものではありません。

しかし、仏教瞑想は心理療法として有効であることは、さまざまな
事例によって示されており、また記憶力の向上などの能力開発法として
利用されてきた歴史もあります。

瞑想は自分自身を見つめるということに取り組んでいきますので、
それがカウンセリングやコーチングに効果をもたらします。

心理療法における「気づき」は、自分を観るところから生じますので、
自分自身を観ることの出来ないクライアントは、変化が生じにくくなります。

例えばクライアントに将来の姿を聞いたときに、会社のことや社会のことなど、
外的なことしか思い浮かばないようでは、内面に目がいっていません。

瞑想は、このような意識状態の人にも変容をもたらす可能性があります。

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7月19日(土) 心理療法と仏教・密教瞑想セミナー
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心理療法と瞑想講座 2

前回はクライアントを例にして瞑想の効果を説明しましたが、
同様のことはカウンセラーやコーチにも当てはまります。

同じようにカウンセリングやコーチングを学んでも、すぐに使えるように
なる人と、なかなかうまく使えない人がいます。

これにはさまざまな要因が考えられるため、一概に
原因を決めつけるわけにはいきません。

しかし少なくとも、瞑想のセンス(自己を見つめる力)というのは、
カウンセリングやコーチングを身につけるための、
ひとつの大きな要因ではあると思われます。

目の前のクライアントと自分自身の変化に気づき、何が起こっても
そのままに受けとるあり方を、セッションの間中維持していることは、
有効な変化が起こるための基本となります。

さまざまな変化に気づかないこと、あるいは気づいたことによって
動揺したり巻き込まれたりすると、クライアントの変化を
阻害する恐れがあります。

すべてに気づき、すべてをそのままに受けとるあり方が出来ていれば、
手法に関わらず、効果的な支援ができるようになります。

心理療法と瞑想講座 3

「身体、感受、心」をありのままに観、それを通じて世界の本質を
洞察することが、ブッダの瞑想の基本ですが、心理療法に限定するならば、
「身体、感受、心」の観察で充分だと思います。

初期の仏典『大念処経』には、
「内に自分自身を観察し、外に他人を観察し、あるいは内と外を観察していく」
とあります。

「身体、感受、心」についてこれが出来れば、カウンセリングやコーチングの
大きな力となります。
身体だけでも、感受だけでも、大きな力となります。

内と外の観察を、さまざまな人に広げていけば、ソリューション・フォーカスの
ベースとなっているシステムズ・アプローチにつながります。

それは、グループや場を促進するファシリテーションとしても活用できます。

すべては互いに関係しつながっているのです。
そのつながりを観る人は、さまざまな分野で自由に使うことができるでしょう。

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コミュニケーションから心を考える

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解決のためのコミュニケーション心理学
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煩悩を滅する修行法 八正道 2

八正道 とは、
「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」

八正道は、先に説明した通りなのですが、「正見」を「正しい見解」と
言われても、具体的に何が正しいのか分からないでしょう。

ブッダは、対機説法といって、相手に合わせて、相手に分かるように、
具体的に教えていったのだと思います。

「正見」とは、法を正しく見ること、すなわち真理を見ること、
無常、苦を正しく見ること、などと説明できるでしょう。

以前説明した言葉で言えば、「如実知見」とも言えます。

あるものをあるがままに見ることが、「正見」であり、
それは即ち、無常を見ることとなります。

仏典の中には、次のような言葉があります。

「修行僧たちよ、正しい見解とは、いったいなにか。
 
じつに、修行僧たちよ、

苦しみについて知ること、
苦しみの原因を知ること、
苦しみの消滅を知ること、
苦しみの消滅にいたる道を知ること、

これが、修行僧たちよ、正しい見解であるといわれるのである。」

つまり「四諦(四聖諦)」を見ることと言われています。

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煩悩を滅する修行法 八正道 3

「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」

今回は、「正思:正しい思惟」と「正語:正しい言葉」を取り上げます。

仏典の中には、次のような言葉があります。

修行僧たちよ、正しい思考とは、いったいなにか。

欲を離れた思考、怒りのない思考、害意のない思考、

修行僧たちよ、これが正しい思考いわれるのである。

修行僧たちよ、正しい言葉とは、いったいなにか。

偽りのことばから離れること、二枚舌から離れること、
悪口から離れること、着飾った言葉から離れること、

修行僧たちよ、これが正しい言葉といわれるのである。

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