釈尊の体得したダルマと心の不安の克服法
釈尊が体得したダルマ(法)は数多くあり、対機説法によって語られたため、後世様々な解釈が生まれているが、究極的には次の3つにまとめられると思われる。「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静」いわゆる三法印である。
「諸行無常」とは、この世界の全てのものは、変化して止まないものであり、永遠不滅なるものは存在しないということである。"世界の本質は運動である"とする弁証法など、「諸行無常」を是とする思想は多いが、釈尊は理論として無常を語るだけでなく、深い瞑想によって世界が生滅する様を観、その体験によって語っていることが重要である。
「諸法無我」は、永遠不変なる"我(アートマン)"は実体として存在しない(五蘊に我は存在しない)ことを意味する。この身体と心を、自分のものであるかのごとく人は思っているが、"生老病死"という心身の変化(無常)ひとつにしても、それを自分で制御することはできない。そのような"我"は無く、諸法は縁起で成り立つことを知るとき、人は執着から離れることが出来る。それは煩悩の火の吹き消された「涅槃の世界、寂静の境地」である。
涅槃寂静とは正に"心の不安"のない状態であり、その実現のために「四諦」という教えがある。私たちの世界は苦に満ちている(苦諦)、苦の原因は渇愛にある(集諦)、渇愛を制すれば苦も滅する(滅諦)、苦の止滅に至る道を実践する(道諦)の4つの諦が示されている。渇愛を始めとする煩悩の制することが苦を滅し心の不安を克服する基本である。ここには、縁起という考え方が明確に表れている。十二縁起は釈尊の後世にまとめられたものとも言われるが、ものごとが縁起によって存在することを明らかにし、またそのことにより苦を滅し悟りへ至る道を分かりやすく説いている。
すなわち、「無明があるときに行がある」と迷いの縁起を知るとともに、「無明がないとき行がない」と迷いを滅する道を知ることができる。この論理により、あらゆる苦の根源を明らかにし、その根源を滅することであらゆる苦を滅することが可能となる。表面的な対処法ではなく、苦の根源である煩悩を滅することにより、究極的な平安を得る道を示すところに、釈尊の法の特徴が見られる。
さらに、具体的な修行の方法を「八正道」としてまとめたものがある。
一.正見(正しい見解)二.正思(正しい思惟)三.正語(正しい言葉)四.正業(正しい行い)五.正命(正しい生活)六.正精進(正しい努力)七.正念(正しい思念)八.正定(正しい禅定)の八つの実践である。
この八つは、戒定慧の三学に通じる仏教の基本項目であると同時に、悟りへの道そのものである。釈尊の教えは宗教ではなく哲学的だと言われることがあるが、単なる観念の哲学ではなく、戒を守り、禅定の境地を得、理を洞察する智慧を得る実践の道である。それゆえに、この世界において苦を滅し心の不安を克服することが可能となるのである。
戒は、正しく生きるための拠り所となる原則であり、在家の人も五戒(不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不飲酒)に則った生き方が勧められた。戒に則って生きることは、心を清らかにし、禅定や智慧の獲得を助ける。より良い世界への輪廻転生を願う人々へ、その道を示すことにもなる。
慈悲の心は大乗仏教においてより強調されるようになるが、釈尊の時代から慈悲の心は大切なものとして説かれている。他人や衆生を思いやる心が、穏やかで清らかな心を生み出し、正しい生き方へとつながっていく。
禅定の境地や智慧を獲得するために、様々な修行方法や悟りへのステップが細かく現されている。人を見て法を説いた釈尊は、修行にも様々な方法を準備していた。釈尊は智慧の獲得を禅定の境地とともに重視し、「如実知見(あるがままに真実を見る)」を実現する様々な修行法を示されている。
釈尊は、自分を教祖として拝めとは言わなかった。釈尊の死後は、自らを頼りとし法を拠りどころとして、怠ることなく修行に励むようにと説かれた。その精神に深く賛同するがゆえに、仏陀と仏陀の説いた法、そしてその法を伝承し広めているサンガ、すなわち三宝に帰依し、修行に精進する。諸行は無常であり、諸法が無我であることを正しく観ることができるならば、我を実体と見る執着から離れ、寂静の境地を得る事ができる。釈尊の法は、人々が苦から脱するものであり、心の不安を克服する方法そのものと言える。釈尊の法は明快である。 【 橋本文隆 】
※仏教塾の課題で書いたレポートです。初期仏教の理解のために。
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