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ごくおおざっぱな仏教の歴史

インド仏教の展開
根本仏教時代 
 お釈迦さんは、紀元前4~5世紀頃、インド・ネパールあたりにシャカ族の王子として、母マーヤーから生まれました。
お釈迦さんの本名は、「ゴータマ・シッダールタ」と伝えられています。(ゴータマ族の成就者という意味で、後世名づけられたとも言われています。)
 お釈迦さんは王子として何不自由なく裕福に暮らし、妻をめとってラーフラという息子もできますが、どんな裕福な暮らしも人生の苦悩からは逃れられないと思い、すべてを捨てて出家します。
(当時シャカ族は、国家ではなく共同体レベルの組織だったようです。王子といっても、それほど裕福ではなかったという説もあります。)

 出家したお釈迦さんは、覚りを得てブッダ(仏陀)となります。ブッダとは「目覚めた人、覚りを得た人」という意味です。「仏」というのは、ブッダに漢字をあてて仏陀としたものの、頭文字を取ったものです。ですから、誰でも覚りを得れば、ブッダ(仏)になれるというのが、仏教の考え方で、天地を創ったり人を創ったりするような超越的な神は想定しません。仏教では、法(ダルマ)という言葉がよく使われます。法(ダルマ)を理解し、法(ダルマ)に従って生きるのが仏教だとも言えます。


部派仏教時代
 お釈迦さんが亡くなると、高弟が集まって、お釈迦さんの教えを確認するようなことが何度か行われます。この中で、最初の経典がまとめられていきます。しかしその後100年もすると、教団は時代に応じて戒律を変えていこうとする革新派と戒律を守ろうとする保守派などに分裂していきます。分裂は繰り返され、二十ほどのグループに分裂していきます。このように多くの部派が競い合った時代を部派仏教時代といいます。

 この時代にアショーカ王という王様が登場します。アショーカ王は戦に戦を重ねた後、仏教に帰依します。アショーカ王は、仏教を保護し、仏教の普及に大きな力を発揮しました。お釈迦さんの時代は新興の宗教や思想家が輩出した時代で、ジャイナ教を始め、仏教によく似た思想は他にもいろいろありました。その中で仏教だけが大きく勢力を伸ばせたのは、アショーカ王の働きによるところが大きいと言われています。


大乗仏教時代
 大乗仏教がいつどのようにして誕生したのかは未だに不明ですが、紀元前後に初期大乗が出来たと考えられます。
『般若経』『法華経』『華厳経』『浄土三部経』など、日本で有名な経典は、この頃に誕生しています。
ここでは、菩薩という考え、自分の悟りよりも他人を救済する(自利よりも利他)が強調されるようになります。

その後、大乗仏教の超有名人、「ナーガルジュナ(龍樹、龍猛)」という人が現れ、『般若経』で説かれた「空」という思想をまとめ、中観派というグループの祖となります。
 また、孫悟空で有名な三蔵法師(玄奘三蔵)につながる「唯識派」も誕生します。一説にはマイトレーヤ(弥勒)が「唯識派」の祖であると言われます。「唯識派」は、既にこの時代に深層心理(無意識)の働きを細かく説いています。
 大乗仏教が発展したこの時代は、一方でヒンドゥー教が発展した時代でもあります。


後期大乗、密教時代
 四世紀にグプタ王朝が成立してから以降、インドではヒンドゥー教が中心となっていきます。インドの国家は基本的に仏教も保護しましたが、国の中心となる宗教はヒンドゥー教であり、民衆の多くも仏教よりヒンドゥー教を求めるようになりました。
 この時代、仏教はインドの伝統的な思想や行法を取り入れながら密教化していきます。しかしインドにおける仏教衰退の動きを止めることはできず、十三世紀には、インドから完全に姿を消してしまいます。

 よく、仏教は密教化してヒンドゥー教と差がなくなり、そのために滅んでしまったと言う人がいますが、インドでは、部派仏教(小乗仏教)と大乗仏教と密教は、長い間共存して存在していたのです。仏教の衰退期においてさえ、部派仏教は存在したのですから、ヒンドゥー教と差がないということはないでしょう。
 七世紀に三蔵法師(玄奘三蔵)がインドを訪れた時、既に仏教は衰退期に入り、密教も存在したのですが、玄奘の記録によれば、それでも部派仏教(小乗仏教)の寺院の数が一番多くなっています。したがって、仏教の密教化が衰退の原因とは考え難いでしょう。

 では、数ある宗教の中でなぜ仏教だけがインドで滅んでしまったのか、その理由は未だによく分かりませんが、

一. 仏教の僧侶は、冠婚葬祭などの儀式に関わることが少なく、大衆を組織化することがなかった。
二. 元々仏教は、国家の保護の下、都市の商人を主な支援者としていたが、北インドの商業の衰退、
   異民族の侵略などにより、国家や商人などの支持基盤が失われた。
三. 侵略された時、仏教の僧侶は戦うことを好まず、他の地へ移っていくため、残された民衆は他の宗教へ改宗していった。

などの理由が考えられるでしょう。


日本の仏教
 日本に仏教を導入した第一人者は、かの有名な聖徳太子です。日本の仏教は中国経由で、漢文化されたものが中心なので、インド固有の思想とは異なってくるところがあります。
 その後、奈良仏教が国家の保護のもと栄えていきます。南都六宗という六つの学派が有名です。
平安時代に入ると、最澄の天台宗と空海の真言宗が加わります。天台宗からは鎌倉仏教という多くの新興宗教が生まれます。
浄土教系の法然、親鸞、法華経系の日蓮、禅宗系の道元、栄西など、すべて天台宗の比叡山延暦寺で修行しています。
鎌倉仏教は日本に仏教を根付かせ、日本の文化にも大きな影響を与えていきます。

 日本の仏教の始祖達は、それまでの仏典をただ正確に解釈するというより、それぞれ独自の思想で、新たな宗教を創造していくというダイナミックな動きが見られます。空海の密教の解釈も独特ですし、親鸞の宗教も他の仏教からは考えられないような独自の思想に彩られています。しかし、空海にせよ、親鸞にせよ、道元にせよ、それぞれが一流の思想にまで昇華してしまうところが、すごいところでしょう。

 江戸時代に入ると、寺院は幕府の管轄下におかれ、住民(檀家)の登録・管理など行政機関の一翼を担うようになります。檀家制度は今も残っていますが、寺への登録を強制された江戸時代と異なり、自由に選択できる時代となり、寺院にとっては大きな問題となっています   【 橋本文隆 】

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