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密教と異宗教

 この小論文では、空海の「ことば」に留意しながら、異宗教との関わりや理解を深めることについて考察する。

 グローバル化が急速に進展する現代において、異文化・異宗教との出遭い、交流は、今後益々大きくなっていくものと考えている。新たな文化の創造など、人類の明るい未来に貢献する現象がある一方で、イラン・イラク問題、イスラエル・パレスチナ問題など、紛争の種は尽きない。これらの紛争は、少なくとも表面的には宗教が関わっている。各宗教徒の多くはこのような紛争を望んでいないと思われるが、現実は多数の殺害・暴力に満ちている。このように一歩間違えれば暴力・紛争につながりかねない宗教間において、相互の理解は必要不可欠であると思われる。そこで空海・密教の観点を通じて、他宗教の理解を考察していきたい。

 そのためにまず、村上保壽氏の『空海「ことば」の世界』を参考にしながら、空海の「ことば」に対する概念を明らかにする。次にその概念が、他宗教の理解にそのまま通じることを示す。

 空海は、恵果和尚から受け継いだ密教を、「真言密教・真言宗」として、独自の世界へ発展させた。空海独自の、そして日本思想史上においても、稀有な壮大な思想・宗教が誕生する。空海は、「真言密教」の名が示すように、「真言」や「ことば」を重要な概念と捉えている。しかしこれは、私たちが日常に使っている「言葉」とは、その内容が大きく異なる。空海は「ことば」を、より深く、豊かな意味合いで使っている。

 真言密教においては、身口意三密の加持による即身成仏が、基本的な理念であり、同時に修行法としても確立しているものである。「真言」は、三密加持の修行においても、常に唱えられるものであるが、重要なことは、「真言」の語義ではなく、密教の世界観から現れる語密としての「真言」であり、それはまさに「曼荼羅」の世界そのものである。

 空海は『声字実相義』において、「ことば」のもつ意味・役割を明確に述べている。声字が即ち実相であるとするこの書では、まず「如来の説法は、必ず文字による。」とし、そして文字の起こりを六塵であり、その根源は法仏の三密にあるとする。即ち、「声字実相」とは「法仏平等の三密」であり、主客の相対を離れた概念を表している。空海は「阿」を例にして、法身の声字「阿」が同時に実相・諸法本不生の意味を明らかにすることを示す。即ち、声字と実相は「一」なる概念であり、それは、陀羅尼や真言で表すことのできない、密の世界そのものである。

 つまり、空海の言う「ことば」とは、まさに「言葉」では説明の出来ない世界の表現であり、それは密教の本質を意味するものである。そして同時にそれは、宗教の本質に、そのままつながるものと考えられる。

ユダヤ教を始めとする一神教において、「神」は、人間には説明の出来ないものであり、まさに不可得なる存在である。密教において、世界は不可得なるがゆえに諸法本不生であるように、一神教においても、不可得なるがゆえに、「神」は存在するといえる。

 空海は、不可得なることを充分に理解したうえで、それを「ことば」として表現した。その深い理解が背景にあるがために、多義的で一見難解な空海の言葉は、読者を密教の深い世界に誘っていく。そしてそれは、密教の世界のみならず、あらゆる宗教の理解に、そのままにつながるものと言えるであろう。 【 橋本 文隆 】

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