中期密教経典に説かれる菩提心思想について
菩提という言葉はサンスクリット語"bodhi"の音写であり、悟りの智慧を意味する。菩提心は阿耨多羅三藐三菩提心の略語と考えられる大乗仏教特有の用語である。
大乗仏教において菩提心という言葉は様々な意味に使われているが、田上太秀博士は、次の四方面から整理されている。
① 心性本浄としての菩提心
② 利他行としての菩提心
③ 空としての菩提心
④ 覚体(如来性)としての菩提心
これらの菩提心思想は、『大日経』や『金剛頂経』などの中期密教経典に大きな影響を与えていると思われる。
『大日経』においては、「入真言門住心品」において、「仏のいわく、菩提心を因とし、非を根本とし、方便を究竟とす」という有名な三句の中に菩提心が登場する。ここでは、一切智智の因となるものが、菩提心であるとなっている。
この三句の法門には、因位の立場と果位の立場の二種類の解釈がある。因位の立場では、「覚りを得るために菩提心を発すことを因とし、菩提心を発すは、大悲の心に根ざし、修行を完成する様々な方便を使って成就する」と解釈される。果位の立場では、「覚りを得た心を因とし、衆生救済へ向かうは大悲の心に根ざしており、衆生を救済する様々な方便を使って成就する」と解釈される。
「住心品」ではその後に、「秘密主、いかんが菩提とならば、いわく実の如く自心を知るなり」と如実知自心を説き、虚空の相が菩提であり、菩提は無相であると説明する。さらに、心と虚空界と菩提の三種は無二であり、菩提を識知せんと欲わば、是の如く、自心を識知すべしと説く。この自らの心を知る道(浄菩提心門)を初法明道と呼び、最初に真理を明らかにする道としている。
八世紀後半に活躍したブッダグヒヤが記した『大日経広釈』では、この菩提心に二種の区分を設けている。「菩提を求める心」と、「菩提の自性の心」である。「菩提を求める心」は、菩提(悟り)という目的に向かう、誓願と修行を行う菩提心であり、一方「菩提の自性の心」は、菩提そのものが心であるとするものである。「菩提の自性の心」は、心は本来、菩提を持っていると考えるものであり、如来蔵や仏性の考え方の影響を見ることができる。
この如来蔵思想を明確に打ち出している中期密教経典として、『般若理趣経』がある。第十二段「有情加持の法門」では、「一切の有情は如来蔵なり。普賢菩薩の一切の我なるを以っての故に。」と、一切有情を加持する般若理趣を説く。第十二段は、外金剛部の者々であっても、衆生はすべて如来蔵を宿すという如来蔵思想を明確にしている。
この『理趣経』第十二段の思想は、『初会金剛頂経』である『真実摂経』の基本思想と密接な関係があると思われる。
『真実摂経』の序分では、「婆伽梵大菩提心普賢大菩薩は、一切如来の心に住したまえり」と、如来の立場から、法界の自性清浄たることを明らかにしている。これを受けて「初加行の三摩地(五相成身観)」では、衆生の見地に沿って明らかにする。
五相成身観は、一.自心を観察し、通達する(通達菩提心)、二.菩提心を発す(修菩提心)、三.月輪の中に金剛を発す(成金剛心)、四.金剛を本質とする(証金剛心)、五.一切如来がある如く我がある(仏身円満)、の五つの観想から成る。この観想により一切義成就菩薩は、本性光明心を知る智慧を増大すべく菩提心を発し、自身の如来たることを覚る。つまり、菩提心とは一切衆生に内在する本性光明心(如来蔵)を指し、如来蔵を知ることが、即ち発菩提心の意味となる。この場合、発菩提心は、菩提そのものである所求の心を発すことを意味しており、能求即所求の関係にあるといえる。
以上見てきたように、中期密教経典に説かれる菩提心思想は、まず、一切智智の因たる菩提心として、密教思想の中核に位置づけられている。そして、一切の有情は如来蔵を持ち、菩提心とは、まさにその自心そのものであるとする菩提心思想が、密教思想として展開していく。
菩提心思想は、まさに中期密教思想の中核をなす思想と言って過言ではないであろう。 【 橋本文隆 】
« 空海教学における因果論 | トップページ | 密教の包容性について ~ 空海の観点から »
「 仏教密教レポート」カテゴリの記事
- 仏教密教レポート コンテンツ一覧(2010.01.07)
- チベット密教の特色(2009.09.09)
- 空海教学における因果論(2009.09.10)
- 密教と異宗教(2009.09.10)
- 中期密教経典に説かれる菩提心思想について(2009.09.10)