« プロフィール 橋本文隆 ~ キャリア編 | トップページ | 心のソムリエ »

自己紹介 橋本文隆 ~人生の軌跡

心のソムリエ 橋本文隆 ~ わが人生の軌跡
 私は幼いころに母を亡くし、暗い子ども時代を過ごしました。身体も病弱で、胃腸が弱く、扁桃腺をよく腫らしていました。このまま無事大人になってやっていけるのか、全然自信が持てない学生時代だったのです。特になりたいものもなく、何となく日々を過ごしている、そんな毎日でした。
 そんな私が人生を楽しいと思い始めたのは、社会人になってからです。社会人になって、初めて自分で稼いだお金で、自分の好きなことができるようになりました。その時、自分の人生を生きているのだということを(ほんの少しですが)感じたのです。それまでは、何の取りえもない自分が周りに迷惑をかけながら生きている、しかし自分には何ができるのか分からない、自分が何をしたいのかさえ分らないという、何とも言えない屈折した気持ちを持ちながら生きていたのです。


社会人になって親元を離れ、自分のやりたいことを自分の責任で行うようになると、好きなことが少しずつ見つかってきましたテニスを始めたのも社会人になってからです。それまで病弱で運動神経のない私には遠い存在だと思ってしり込みしていたのですが、やってみると、みんな暖かく受け入れてくれました。その後、スキー、乗馬、空手などもやるようになりましたが、楽しくテニスをやらせていただけたのが、いろいろなスポーツ・武道にチャレンジするキッカケになったように思います。

仕事を始めてみると、今までいかに受け身で生きてきたのか、思い知らされました。学生のときは、教室に行きさえすれば、それで勉強を教えてもらえたのに、会社では、自分で仕事をやっていかないと全然成果を出せないのです。自分でやっていかなければいけないということは、自分で自分の道を決めることになります。自分の人生を自分らしく生きるということが、少し分かりかけたのが、仕事を始めた時期であったように思います。

 仕事で最初に興味を持ったのは、パソコンです。初めて知ったパソコンは、私の知的好奇心を満たすには充分な代物でした。当時は、NECがパソコンを使った教育システム(CIA)を売り出し始めたころでした。先輩社員に先がけて、小学校や中学校にパソコンを使ったシステム導入を成功させるなど、仕事の面白さややりがいを感じたときでもあります。

 パソコンに始まった私の興味・関心は、LAN、グループウェア、SE、ITコンサルタント、IT教育などと次々と広がっていきます。ITコンサルタントの経験から、コンピュータやシステムを導入するだけでは会社の業務改善は成功しないことを学びました。それは私を、ITコンサルタントから
経営コンサルタントへと目を向けさせました。それはやがて、中小企業診断士の資格を取得し、経営コンサルタントとして独立することにつながっていきます。
 IT教育の担当として、SEや技術者を教育するようになると、ITの知識だけではなく、教え方や講習のやり方を覚える必要に迫られました。新しい部門に配属され、会社には教えてくれる先輩はいなかったので、自分ひとりで覚えなければいけませんでした。それでも必死でやっていると、受講者の評判もよくなり、会社からは
社長賞を頂くらい、評価されるようになりました。

 その後部門拡大のために、部下を何人かつけられ、部下の指導・教育も要求されるようになりました。
 正直、この時の部下のマネジメントは大失敗に終わりました。SE相手に教育をするには、こちらにも高度なIT技術が必要になりますが、優秀なIT技術者は教育には関心を示しません。優秀なIT技術者は、人に教えているよりも、コンピュータをいじっている方が好きなのです。教え方はそこそこ上手くても、IT技術のレベルが高くない人は、やはりSE向けのIT教育は荷が重いところがありました。

 「ITには詳しいが、教育をやりたくない人」「教育はやりたいが、ITには詳しくない人」この2タイプの部下を上手く指導できなかった私は、部下からは嫌われ、上司からは無能扱いされることになります。「社長賞をもらうくらい、メチャクチャ仕事のできる奴」という評価から一転して、部下の管理ひとつできない無能社員という扱いに変わったのです。
 その上、他の社員が言った上司批判が、なぜか私が言ったことになってしまい、上司がロクに口もきいてくれないような状態になりました。会社の居心地、朝会社に向かうときに気分が、以前とは雲泥の差です。上司と顔を合わせるのも部下と顔を合わせるのもイヤだという、悲惨な精神状態になりました。

 しかし、この大失敗と失意の日々が、私に大きな転機をもたらしました。この経験から私は、コンピュータや論理という世界から、人に目を向けることを学習しました。ITの技術も大事だが、何よりも人が動かなければ仕事にならないということを痛感したわけです。そこからITの教育だけでなく、より広範囲な人材育成、能力開発、モチベーションアップ、コミュニケーションなどの教育に関心が出てきたわけです。

 関心を持ったことは徹底して探究するのが、幼いころからの僕の悪いクセ
。人とのコミュニケーション、モチベーション・動機づけ、学習法・上達論、意志と感情、人生観・生き様などを徹底して研究し、やがて、『壁を突破するコーチング』『ソリューション・フォーカス入門』などの本を出版するまでになりました。

 ITコンサルタントから経営コンサルタントを目指すなかでも、企業はヒトである、ということも痛感しました。企業の戦略立案や業務改善の提案を行っても、実行する気のない企業、実行する能力のない企業を数多く見たからです。そこからHRM(ヒューマン・リソース・マネジメント)コーチングといった、人材の育成や人材の活用を中心としたアプローチにシフトしていくことになります。
 IT教育の経験とITコンサルティングの経験は、
人材育成人材活用のセミナー・コンサルティングという形で集約されてきたわけです。

 さらに、中小企業診断士仲間で始めた「日本経営品質賞」への取り組みは、この動きを加速させました。経営品質は、社員満足・顧客満足を実現する組織を育成していくプログラムです。社員満足度が高いということは、仕事に誇りややりがい、充実感を持っているということであり、それは、人材の育成や活用の、当然目指すべき姿なのです。
 一時的に利益を出すだけなら、労働力を使い捨てても可能です。しかし継続的に成長していく企業をつくるためには、そこにやりがいを見いだす人々が必要になります。
社員満足・顧客満足を目指す経営品質は、人材を育て、互いに尊重しあって高い生産性をあげる組織を目指す私のコンサルティングの、指針となったのです。

 社員満足、仕事を通じた人生の満足、真に幸せな生き方を追究するところから、コーチングだけでなく、カウンセリング、メンタルヘルス、気功、瞑想に取り組み始め、高野山にて空海の研究と仏教の修行を行うことになりました。高野山での修行は、もっと人生の後半に取って置こうかと思ったのですが、年を取ってから高野山で修行を行うのは、受け入れてくれる道場も少なく、体力的・精神的にもかなり厳しいものがあります。
 人間、いつ何があるのか分らないのだから、やりたいと思ったことは早くやった方がいい、という自分の人生哲学もあります。
「自分の一番やりたいことを常にやっていれば、いつ死んでも悔いは無い」という想いから、死ぬまでには必ずやりたいと思った修行の道に入ることにしたのです。

 高野山で研究を始めてから分ったことですが、空海の思想は、私がコーチングやカウンセリングの中心的理論として重宝していた、ブリーフセラピー(短期療法)SFA(ソリューション・フォーカスト・アプローチ)と、非常に近いのです。これはまったく予想していなかった、しかし非常にうれしい誤算でした。そして、「私は来るべくして高野山に来た」ということを改めて感じたのです。

 私は、空海の思想を引き継ぎ、ソリューション・フォーカスという西洋のコミュニケーションを取り入れ、洋の東西、国籍、民族を超えて、互いに尊重しあい、傷つけあうのではなく理解を深めあう存在として生きていくということを再確認したのです。
 それは、企業にとっては、社員満足・顧客満足を実現するということであり、お客様から喜ばれ、社会から大切にされ、社員が誇りを持って働く企業であるということです。そのとき企業は、経営者も社員も、社員の家族もお客様も、取引先も仕入先も、皆が幸せになる存在となることができるのです。
 そのような企業、そのような社会、そのような人々を目指して、微力ながらも全力をつくす所存です。

心のソムリエ
橋本文隆

« プロフィール 橋本文隆 ~ キャリア編 | トップページ | 心のソムリエ »

ミッション/ビジョン/プロフィール」カテゴリの記事