ブログ仏教の歴史と背景

仏教の誕生 1 

皆さま、始めまして。
「ブッダ・空海の道」をお読みいただきましてありがとうございます。

記念すべき 第1回の配信となります。

 ブッダ・空海の思想に入る前に、予備知識として、仏教全般の歴史や
背景を説明します。
 その方が、後の話を理解しやすいと思いますので。

レポートの長さは毎回異なります。
今回は、少し長くなりましたが、ご了承願います。

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仏教の誕生 1 

 仏教は、約2,500年前、今のインド・ネパールのあたりで生まれたブッダ
(仏陀)の教えを開祖とする教えのことです。仏教が分かりにくいのは、
膨大な数の経典と宗派があり、それぞれ別の教えを持っていることです。

しかも開祖ブッダは文字を残していないので、ブッダが何を説いたのかは、
今となっては正確に分かりません。宗派や学者によって、解釈がまったく
違うのです。
(例えば、ある宗派は、「インドで輪廻転生を説いたのはブッダが始まりだ」
と主張し、ある学者は、「ブッダは輪廻を説かなかった」とまったく逆の見解
を示します。)

全部の意見を入れると話がまったく成り立たないので、ここでは私の主観を
ベースにして、それなりに妥当性が高いと思われる意見や多数派と見られる
意見を中心に話をまとめます。

 ブッダが生まれたころのインドは、北方からアーリア人が侵入し、土着の
民族を支配していくという大きな変革の時代でした。
ブッダはシャカ族という部族の王子として生まれました。
 ブッダはアーリヤ人説、土着民族説、アーリア人と土着民族の混血説など
いろいろありますが、確かなことは分かりません。

 ブッダは妻をめとり、子供ができた後、城を出て出家します。
妻と子供を捨てていくのは、現代感覚でいうと無責任なように思えますが、
当時は、出家するさいには、まず子供を作り、後継者が出来てから
出家することが推奨されていたのです。
 つまり妻と子供がいて出家するのは、当時の社会風習からすれば、
妥当な選択だったわけです。

 ブッダは人々が苦しむ理由を発見し、安楽に過ごす方法を考えました。
しかし世のなかすべての人が覚りを得ると考えたわけではありません。

 伝説によれば、覚りを得たブッダは、この覚りは誰にも理解できないから
誰にも伝えないでおこうと考えました。しかし梵天(世界の創造神)が、
世のなかにはブッダの教えで覚りを得られる人もいるので、法を説くように
お願いし、ブッダが了承したことになっています(梵天勧請)。

 この話は後世作られた伝説ですから真実ではありませんが、ブッダは
始めから、すべての人が覚りを得るとは考えていなかったと思われます。

これは武道に例えると分かりやすいのではないでしょうか? 

 ブッダは新しい武道を考え出し、達人となった。
 ブッダは道場を開き、達人の境地とその修行法を伝授した。
 才能がありトレーニングを積んだ人は、ブッダのように達人になった。
 道場に通えない人、道場に来たが修行に精進しなかった人、
 修行したが才能の乏しかった人たちは、達人にならなかった。

武道で考えれば当たり前のことです。武道を仏道と読み、達人を覚りと
読めば、仏教にそのまま当てはまります。

 修行しないで達人になる(覚りを得る)ことなど、あるはずがないのです。
少なくとも、ブッダの時代にはそうだったでしょう。
しかしこれだけでは仏教は広まりません。

熱心に修行する人など限られています。
生活に追われる人々には、修行する時間も取れません。
そのような人に対しては、一般向けの指導もやっていました。
武道でいえば、護身法レベルの指導といえるかもしれません。

覚りを得られるほどの修行ではなく、一般の人でもできる修行、
それは善い行ないをすること、規則正しい生活をすること、
僧侶やサンガ(僧団)に布施をすること、などです。
そうした人々は、天界など、より良い生まれ変わりを期待することになります。

 仏教は、覚りという世界最高のプロフェッショナルレベルと、
世界宗教として、一般大衆の安楽と救済という両面を抱えながら、
さまざまな形に変質していくことになります。

---次回は 「仏教教団の分裂 1」 水曜日発行予定です。---

ブッダ・空海の言葉 一日一語
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コミュニケーション と 心 を世界に伝える
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仏教教団の分裂 1

 ブッダの死後、弟子たちが集まり、ブッダの教えを確認するようなことが
行なわれます※1。ブッダは、自分の教えを理論化し、体系化することには
あまり興味がなかったようです。
 対機説法という、相手に合わせた会話によって法を説くのが、ブッダの
スタイルです。

 このブッダのようなスタイルは、どの世界でも見られることです。
中国における儒教の祖、孔子は、やはり文字を残さず、対話によって道を
説きました。
 孔子の言葉をまとめた論語は、「子曰く(先生は言われた)」で始まる
会話調になっています。後世、朱子学などの儒学として学問化、体系化が
成されますが、孔子の時代にはまだ充分体系化されていませんでした。

 ギリシアには、ソクラテスという思想家がいました。
「ソクラテスの対話法」は、今でも欧米においてコミュニケーションの基本と
して学ばれているように、ソクラテスは対話によって教えた人なのです。
プラトン、アリストテレスと引き継がれる中で、理論化され一流の哲学にまで
なったことは、よく知られています。

 このような歴史的発展形態を考えた時、仏教もブッダ時代には対話レベル
であり、学問的レベルの理論化は後世行なわれたと見るのが自然だと思い
ます。
 ブッダが目指したのは、覚り(安楽の境地、不死の境地)なので、おそらく、
理論化や学問化は、ブッダにはあまり関心のないことのように思われます。
しかし、個別に相手に合わせた対話だけでは、後世に教えを伝えるときに、
非常に困るのです。相手によって言っていることが微妙に違うからです。
どうしても教えをまとめる必要が出てきます。

 心理療法の世界でも、同じような現象が見られます。
 天才療法家といわれたミルトン・エリクソン※2は、他では治らないような
クライアントを次々と治しますが、「クライアントの数だけ理論はある」といって
理論化には否定的でした。
 同じように、天才カール・ロジャーズ※3、自分のカウンセリングをほとんど
理論化していません。
しかし彼らの弟子たちは、師の療法を研究して、次々と理論化していきます。
その方が学びやすく、伝えやすいからです。

 これは私の想像ですが、ブッダもミルトン・エリクソンもカール・ロジャーズも
理論化するなかで抜け落ちていくものを、好まなかったように思います。
「本当の真実は、その場、その関係の中に存在する」と考えていたように
思います。

 ブッダの教えは、最初は口頭で伝えられ、やがてそれが文字として
書き残され、理論化されていきます。それは必然的な流れだと思います。
そしてその過程で、さまざまな流派や理論が生まれてきたのです。


※ 1 この弟子たちの集まりを結集(けつじゅう)という。
    第一次結集 ブッダ滅後すぐ行なわれる。歴史的事実かは不明。
    第二次結集 ブッダ滅後100年後くらい。戒律の確認をする。
            仏教分裂に関係しているという説もある。
※ 2 近代催眠の祖、ブリーフセラピー(短期療法)の祖とも言われる。
※ 3 日本のカウンセリングの基本として採用されることが多い。
     カウンセラーに受容・共感・自己一致があれば、クライアントは
     自ら変容していくとする。

---次回は 「仏教教団の分裂 2」 金曜日発行予定です。---

仏教教団の分裂 2

ブッダが亡くなって100年もたつと、仏教教団は20以上に分裂します。
これを部派仏教と呼びます。
伝えられるブッダの教えの解釈の仕方や、社会の変化とブッダの教えを
どう合わせるかということで、さまざまな考え方が生まれてくるのです。

 部派仏教は、大きく分けて、上座部と大衆部※1があります。
上座部のなかには、説一切有部、経量部、などがあります。
説一切有部は、最大勢力で、後に誕生した大乗仏教から小乗仏教
(小さな器)と呼ばれ、攻撃されました。

上座部の一部はスリランカに伝えられ、その後、ミャンマー、タイ、ベトナム
などの東南アジアに伝えられ、今でも信仰されています。

 部派はそれぞれ、「経・律・論」の3法を典拠としています※1。
「経」はブッダの教えを中心に記述したもの、
「律」は守るべき規律を記述したもの、
「論」は仏弟子である長老が記述した、理論書・解説書になります。

「論」はブッダの直説ではないのですが、部派仏教では、これも仏説として
扱われます。ブッダが直接言っていなくても、内容がブッダの言ったことに
準じていれば、仏説と考えるわけです。

 この部派の考え方は、後に大乗仏教という革新的な仏教が生まれる
ときの理論的根拠にもなります。
大乗仏教は、『般若経』や『法華経』、『浄土経』など、ブッダが説いて
いない新たな教典を次々と作成していきます。

それらは新たに作られたにも関わらず、すべて仏説となっています。
しかし、これらはブッダの教えに準拠していると主張することで、
すべて仏説となるのです。

 こうしてブッダの教えとは異なる新たな仏教が、次々と生まれてきます。
それを発展と見る人もいれば、過ちと見る人もいます。
少なくとも、思想的見れば、多様な発展があったといえるでしょう。


※ 1 以前は大衆部が大乗仏教に発展したと考えられていたが、
        現在では否定的な見解が多い。
※ 2 経・律・論を合わせて「三蔵」という。孫悟空で有名な三蔵法師の
    名称は、ここから来ている。

---次回は 「大乗仏教の誕生」 月曜日発行予定です。---

大乗仏教の誕生

 日本に伝えられた仏教を大乗仏教といいます。それまでの仏教を大きく
変革した革新的な仏教です。日本に仏教が伝わったときは、それが
ブッダの説を変革した仏教だとは考えませんでした。

 仏教が生まれたインドでは、4世紀ころから衰退が始まり、
13世紀には完全にインドから姿を消してしまいます。
そのため、昔のインド仏教の姿は、簡単には分からない状況です。

 大乗仏教がいつどのようにして誕生したのかは未だに不明ですが、
だいたい紀元前後に初期大乗が出来たと考えられます。
『般若経』『法華経』『華厳経』『浄土三部経』など、日本で有名な経典は、
この頃に誕生しています。
大乗仏教では、菩薩という考え、自分の悟りよりも他人を救済する
(自利よりも利他)が強調されるようになります。

私個人のイメージですが、武道に例えてみると、

初期の仏教は、道場において達人になることを最大目標とし、
一般人にも護身法などを教えていたというイメージです。
一般人に法を教えることは、達人になるための重要な修行です。
希望者は、原則、誰でも教えを学ぶことができます。

一方大乗は、武道によって世の人々の安全を守ることを最大目標とし、
世のなかの人を守るために、達人を目指して修行する感じです。
 どちらも達人になろうとしていますし、世の人々を助けようとしているので、
似たようなものと考えることもできます。

 しかし世の救済を第一に考える大乗では、人を守るための新たな方法を
次々と生み出すようになります。
 人々の安全を守るときに、ただ素手で守るより、防衛用の武器や
避難用の車など、さまざまなツールを使った方が守りやすいでしょう。
 護身法を教えるだけでなく、防犯ブザーや防弾チョッキを着けた方が
安全かもしれません。

 そんな感じで、大乗仏教には、初期仏教にはない、さまざまなツールが
採用されます。
 観音菩薩、弥勒菩薩、文殊菩薩、薬師如来、阿弥陀如来など、
多くの仏さまが登場するのも大乗仏教になってからです。
 極楽浄土などという素敵な世界もできあがります。

 初期仏教や部派仏教※1では、覚りを得た人は、涅槃に往き、二度と
この世に生まれ変わらないと考えるのに対して、
 大乗仏教では、覚りを得るレベルになっても涅槃に往かず、菩薩として
この世に生まれ変わり、世の人々を救い続けると考えます。

チベットのダライ・ラマは、今14世となっていますが、これは生まれ変わった
菩薩を表しています。(ダライ・ラマは観音菩薩の化身です)

 大乗仏教では、「空」や「唯識(深層心理)」など、新たな思想や理論を
生み出し、衆生を救済する宗教であるとともに、東洋哲学としても
発展していきました。
 『般若心経』などでよくいわれる「空」という思想を、「ナーガルジュナ
(龍樹、龍猛)」という人がまとめて、中観派というグループの祖となります。

ブッダや部派仏教では、「空」とはあまり言わないのですが、
大乗仏教では、「空」は中心的な思想となっていきます。


※1 大乗仏教以前の仏教は、原始仏教、初期仏教、根本仏教、
   部派仏教など、いろいろな呼び方がされている。
   明確な区別はないが、ここでは、次のように区分している。
      根本仏教:ブッダ本来の仏教
      初期仏教:部派に分裂するまでの仏教
      原始仏教:部派に分裂するまでの仏教~初期の部派まで
      部派仏教:20以上の部派に分裂した仏教

根本仏教や初期仏教は、もはや宗派として存在していない。
部派仏教のひとつ分別説部がスリランカに伝わり、現在まで存続している。
現存する仏教は、上座部仏教、テーラワーダ仏教と呼ばれている。
初期の部派を色濃く引き継いでいるが、当時の部派とは異なる部分もある。

密教の誕生

 大乗仏教のなかで、後期に発展したものを密教といいます。
密教とは、後期大乗仏教のことです。密教は、思想や理論は、
それまでの大乗仏教と大きく異なるわけではありません。
しかし修行法は大きく変わりました。

 密教では、マンダラという仏が描かれたものを使います。
マントラ(真言)を唱えます。護摩といって火を焚きます。
これらのものは、基本的にはブッダが認めなかったものです。
火を焚いたりマントラを唱えるようなことを、ブッダは否定していたわけです。

 それにも関わらず、密教では火を焚いたりします。なぜでしょうか?
それは、その方が、より簡単に早く覚りを得られると考えたからです。
密教が発生した理由のひとつは、早く覚りを得ることです。

 それまでの大乗仏教では、この世に生きている間には、
ほとんどの人は覚りを得られなかったのです。
 それを、今生きているこの世で、素早く覚りを得て、
この世で幸せになろうとするのが密教です。

 そのために、瞑想を重視し、マンダラ、火、真言など、さまざまなツールを
使って、効果的に瞑想できるようにしたのです。
 密教では、今生きているこの世で幸せになる、幸せに過ごす、ということが
強調されます。
難しい修行を延々と続けなければ、幸せになれないというのでは、
密教的には困るわけです。

 密教が今残るのは、日本とチベットの密教だけです。チベットの状況は、
最近やっとニュースなどで流されるようになってきたので、
ご存知の方も多いと思います。

一般に、日本に伝えられた密教を中期密教、チベットに伝えられた密教を
後期密教といいます。
この連載では、日本の密教を中心にしますが、必要に応じて
チベット密教も取り上げます。

---次回は 「日本仏教の誕生」 金曜日発行予定です。---

日本の仏教の誕生

思想に入る前の予備知識として、仏教の歴史と背景をお届けしています。

日本に仏教を導入した最初の立役者は、聖徳太子だと言われています。
聖徳太子は歴史的実在性が疑われるなど、よく分からない存在ですが、
一応、日本仏教の開祖と言ってもいいのではないかと思います。

 平安時代には、「最澄・空海」という2大僧侶が出現します。
最澄は、比叡山に天台宗を開きます。
今の日本のほとんどの仏教は、天台宗を基とします。
空海は、京都の東寺を中心に真言宗を広めていきます。
 
 最澄は、法華経を中心にして、密教も導入しました。
あらゆる仏教を併行して学ぶ、総合大学的な宗派です。
一方空海は、密教の中に最高の教えを見、密教に特化していきます。
すべての教えを密教のなかに取り込んでいきます。
あらゆる学を包括する密教単科大学のようなものです。

鎌倉時代になると、法然、親鸞、日蓮、道元、臨済、などの僧侶が出現し、
鎌倉仏教と呼ばれる新たな仏教を創っていきます。
浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、禅宗など、今の日本の大半の仏教は
この時代に生まれたものです。

鎌倉時代の仏教は、総合大学である天台宗で学んだ僧侶が、その一部に
特化して、単純化・精鋭化していったものと、考えることができます。
鎌倉仏教は、大衆に仏教を広めました。
特に、法然、親鸞、日蓮などは、その傾向が強く見られます。

鎌倉時代の大衆に、難しい仏教理論を語っても、理解されないでしょう。
鎌倉仏教は、当時の大衆に分かるように創られ、語られたのです。

 このような日本仏教は、世界的に見るとかなり、特異です。
ナンにつけて食べていたインド風カレーが、中国に輸入されて中華風
カレーに変わり、中華風カレーを輸入した日本では、和風カレーうどんに
変わったようなものです。

確かにインドカレーの流れは引いているが、並べてみるとかなり違います。
同じ部類の料理とも言えるし、違う料理にも見えます。

同じ神を信じているにも関わらず、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と
別の宗教に分かれていく流れと比較すると、面白いものがあります。

 空海を始めとして日本の宗祖と言われる人たちは、ブッダ以来の仏教を
正確に伝えるというよりも、当時の日本に合った新たな仏教を創りだして
きました。
そして、彼らが創りだしてきた新たな仏教は、いずれも、思想的、哲学的、
宗教的にみて、極めてハイレベルだと言うことができます。

 単に教えを曲げて、低俗化・大衆化したのではなく、一流の思想のもとに
新たな仏教を生み出したところは、日本が世界に誇れるところだと思います。

---次回から 「よくある仏教の疑問」を始めます---

僧侶は肉を食べてはいけないのか?

ブッダ・空海の思想に入る前に、予備知識として
今回から、今の日本人が持つ仏教への疑問を扱います。

よくある仏教の疑問 1
 僧侶は肉を食べてはいけないのか?

 僧侶は肉を食べてはいけないと思っている人がよくいます。
しかしブッダは、肉を食べてはいけないとは言っていません。
布施として頂いたものは、肉もありがたくいただくのが、ブッダの仏教です。

殺生はしないのが基本ですから、自ら動物を殺して食べるのは禁止です。
しかし、すでに死んでいるものを、食べることは禁止しませんでした。

しかし、このブッダの姿勢は、修行者として低く見られることがあります。
肉を食べないヒンズー教の修行者と比べられたとき、肉を食べる仏教僧の
方が、堕落しているように見られがちなのです。

これは価値観の問題で、仏教僧が堕落しているわけではないのですが、
一般人から見ると、肉食を断っている方が、何か高尚に見えるのでしょう。

 そのような背景があるからだと思いますが、大乗仏教ができると、
肉食を禁止するようになっていきます。
 より大衆に入っていこうとする大乗仏教では、肉食を断つ方が、
受け入れられやすかったのかもしれません。

 時々、初期の仏教よりも、大乗仏教の方が戒律がゆるくなったと
思っている人がいますが、それは逆です。仏教は大乗仏教になって、
一層厳しくなった面があります。そのひとつが肉食禁止です。

 ただし、今の日本の伝統仏教教団は、ほとんど肉食を禁止していないと
思います。高野山の僧侶も普通に肉魚を食べています。
 真言宗では、加行(修行場にこもり外との接触を断って行なう修行)の間は、
肉、魚、にんにくなどは一切禁止、いわゆる精進料理しかありません。
 加行が終われば普通に肉魚を食べています。
他の宗派も、だいたい同様ではないでしょうか。

僧侶は酒を飲んではいけないのか? 1

ブッダ・空海の思想に入る前に、予備知識として
今の日本人がよく持つ、仏教への疑問や勘違いを扱います。

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よくある仏教の疑問 2
僧侶は酒を飲んではいけないのか? 1

 仏教には、不飲酒(ふおんじゅ)戒という、決まりがあり、仏教徒は
酒を飲まないのが基本です。

 戒律という言葉がありますが、戒と律は本来は別のものです。
戒は、仏教修行を志す者が、自発的に守ろうと目指す決まりのことです。
戒は、出家者、在家者を問わず、仏教を志すものならば、出来る限り
守ろうとするものです。

伝統的に「不殺生(ふせっしょう)・不偸盗(ふちゅうとう)・不邪婬(ふじゃいん)・
不妄語(ふもうご)・不飲酒(ふおんじゅ)」という五戒があります。
「殺さない・盗まない・異性に邪まな心を持たない・ウソをつかない・
酒を飲まない」ということです。

 あらゆる生き物を全く殺さないということは不可能でしょうが、それぞれの
立場で可能な限り守ろうと心がけるところに、戒の意味があります。

 一方、律は、サンガ(僧団)ができたときに、集団生活であるサンガを
守るために作られた規則です。これは、出家してサンガに入らなければ、
守る必要はありません。
 比丘(男性修行者)は250、比丘尼(女性修行者)には、350くらいの
律があります。

 ブッダは、律が多すぎるので、自分の死後、不要だと思う律は無くしても
構わないと言ったそうです。しかし、南伝仏教である上座部(スリランカや
タイ、ミャンマーなど)の出家者は、今でもこの律を守っています。
それを彼らは誇りに思っています。時代に合わないと言われても、
あえて変えないところが、彼らの心意気でしょうか。

 ここまでは、部派仏教、上座部仏教のお話です。

僧侶は酒を飲んではいけないのか? 2

ブッダ・空海の思想に入る前に、予備知識として
今の日本人がよく持つ、仏教への疑問や勘違いを扱います。

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よくある仏教の疑問 2
 僧侶は酒を飲んではいけないのか? 2

仏教が多様化するなかで、戒律の解釈が変わったり、新たな戒律が
できてくるようになります。
五戒に関しては「殺生・盗み・邪婬・妄語」の4つは、それ自体が罪であるが、
飲酒は,行為自体は罪ではなく、酒を飲んだ結果、悪事を働くことが悪い
のだという考えが出てきます。

 「殺生」と「飲酒」を同列の戒として扱うのは不適切だという考え方は、
一般常識的に考えれば、それなりに妥当性があると思われます。
(宗教は一般常識で測れないことが多いですが)

 また、仏教が北方の寒い地域に広がるなかで、インドの伝統的戒律では、
都合の悪いことも、いろいろ発生するようになります。
 インドではボロキレ1枚で生活できますが、寒い地域では、凍え死にます。
寒冷地では、暖をとるために、酒が欠かせないところもあります。
酒が命をつなぐ場合もあるのです。

 「それでも、仏教徒なら酒を飲むな」という主義もあるでしょうし、
「悪事を働かなければ、酒を飲んでも構わない」と考える人もでてきます。

 日本の宗祖たちは、だいたい酒に対して寛容です。
その理由を正確に調べたことはないのですが、
想像するに次のような理由ではないかと思います。

1.日本では、昔から神事に酒を使い、酒を神聖なものと考えている。
2.米は日本の精神文化の象徴であり、米から造られる酒も、
  米と同様に考えられている。
3.日本の修行は、高野山など山岳修行が中心であり、寒冷のため、
  酒はよく飲まれた。

肉・魚と同じで、加行中は禁酒です。

ちなみに、酒のことを僧侶の隠語で”般若湯”といいます。
般若とは智慧のことだから、お酒は、”智慧のお湯”だそうです。
個人的には、こういう隠語は、あまり好きではありませんが。

なお、タバコに関しては、律がないので、上座部も大乗も自由です。
律の制定時にタバコは無かったので、規定がありません。
規定のないものは、原則自由です。
あくまで、本人の意識と自覚の問題です。

--- 次回は 「 僧侶は結婚していいのか? 」 ---

ブッダ・空海の瞑想講座を開催します。
5月17日(土) 大阪 難波市民学習センター
講義とワークを行います。詳細は下記ページをご覧ください。
 http://www.performanceship.com/meisou0517.htm

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僧侶は結婚していいのか?

ブッダ・空海の思想に入る前に、予備知識として
今の日本人がよく持つ、仏教への疑問や勘違いを扱います。

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よくある仏教の疑問 3
 僧侶は結婚していいのか?

 現代の日本のお寺は、家族がいて成り立っています。妻や子供が
いるのは普通です。お寺というのは、自分のものではなく宗派のもの
なので、跡取りがいないとお寺を出て行かなければいけません。

 このように僧侶が家庭を持つのは、他にはない日本だけの特徴です。
上座部でも大乗仏教でもチベット密教でも、僧侶は家庭を持ちません。
本来出家者は、異性には一切触れてはいけないのです。

 出家というのが、家を出ると書くように、あらゆる執着の種から離れようと
するのが、出家者の元々の姿です。家庭があると家庭を守る責任があり、
妻や夫、子供に対する愛着があり、教育費や生活費などを稼ぐ必要もあり、
と一般的な在家者と同じような環境になってしまいます。

その環境でブッダの覚りを得ることは、極めて困難です。
(不可能と断言はできませんが)

しかし、今の日本の現状では、家族の協力がなければ、お寺を維持
することも難しいでしょう。
(お寺の維持・管理には、かなり手間がかかります。)

 日本は、独自の仏教をつくるとともに、世界に類のない独自の僧侶
スタイルも創りあげたと言えるでしょう。
お寺と檀家さんの関係を見ていると、これはこれで日本の風習には
合っているようには思えます。

 昔、始めて公に妻帯した親鸞聖人は、自分のことを出家者ではないと
しました。
といって在家者とも言えないので、非僧非俗(僧でもなく俗でもない)
という姿勢を貫きました。(僧籍を剥奪されたので、そうなったのですが)

個人的には、非僧非俗という親鸞の姿勢は好きです。
出家という言葉を使うなら、初期・上座部仏教の出家と日本仏教の出家は
違う意味合いで使われていると考えた方が、分かりやすいと思います。

それをどう評価するかは、個人の価値判断の問題でしょう。

--- 次回は 「 僧侶の仕事は葬式なのか? 」 ---

ブッダ・空海の瞑想講座を開催します。
5月17日(土) 大阪 難波市民学習センター
講義とワークを行います。詳細は下記ページをご覧ください。
 http://www.performanceship.com/meisou0517.htm