ブログブッダの思想

密教の基本思想

密教は大乗仏教のなかから生まれたもので、後期大乗仏教と
考えることもできます。

密教的なものの見方は、あらゆるものに価値を見出すことに特徴があります。

密教ではマンダラというもので世界(法界)を表現しますが、
その中には仏、菩薩だけでなく、インドの神々や鬼衆、羅刹など、
多くのものが存在します。

それらはすべてこの世界を構成する者であり、仏の世界の一員であると考えます。

私たちの日常の世界でも、好きな人嫌いな人、付き合いやすい人
付き合いにくい人など、様々な人がいることと思います。

しかし、付き合いにくいから嫌いだと考えるのと、
どんな人でも、何か良いところがある、何か価値がある、
その人を活かす方法がある、という風に見ていくのとでは、
大きな違いが生まれてきます。

仕事でもプライベートな付き合いでも、コミュニケーションが全く違ってきます。

密教では、あらゆる人、あらゆるものを活かしていこうと考えます。
どんな人もどんなものも、この仏の世界に生まれてきたことに違いはありません。
それを生かすも殺すも、私たち次第となります。

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煩悩を滅する修行法 八正道 5

「正定」とは、禅定の境地です。
坐禅、瞑想を多少知っている人なら、禅定の境地、覚りの境地
などの言葉を聞いたことがあるかもしれません。

禅定の境地とは、精神が高度に集中し、
独特の精神状態になったものです。

覚りの境地などというので、ブッダが目指したものを、
このような独特の境地であると勘違いする人が多いようです。

ブッダは出家して、すぐに最高の境地に達します。
天才ブッダは、瞑想によってその境地を獲得したのです。

しかし瞑想によって得た境地は、瞑想を止めると元に戻ります。
ブッダの覚りは、その問題への解答なのです。

瞑想している時にいくら幸せでも、社会に戻ればまた
「苦」があるのでは、真の覚りと呼べない、
そうブッダは考えたわけです。

そしてブッダは、真実を観る智慧を獲得することにより、
永遠の平安を得たのです。

禅定の境地は、ブッダの最終目的ではありません。
しかし、ある程度の禅定の境地がなければ、ブッダのいう智慧
(真実を洞察する智慧)が身につかないので、
禅定はやはり重要なのです。

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煩悩を滅する修行法 八正道 4

「正念」は、常に注意を怠らず、今起こっていることに
気づいていることです。

ポケーとしていると、何も気づきません。
私たちの思考や行動の大半は無意識に行なっています。

歩き出すときに、どの足をどう動かそうなどとは考えないでしょう。

その無意識は生活するうえで必要なことですが、
同時に、自分自身の身体も心も、自分でコントロールしていない
ことを表しています。

ブッダは、心にコントロールされるのではなく、
心をコントロールすることを、説いています。

そのためには、身体、感受、心、法(本質)の4つを、
ありのままに見て、欲と怒りを離れます。

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煩悩を滅する修行法 八正道 3

「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」

今回は、「正思:正しい思惟」と「正語:正しい言葉」を取り上げます。

仏典の中には、次のような言葉があります。

修行僧たちよ、正しい思考とは、いったいなにか。

欲を離れた思考、怒りのない思考、害意のない思考、

修行僧たちよ、これが正しい思考いわれるのである。

修行僧たちよ、正しい言葉とは、いったいなにか。

偽りのことばから離れること、二枚舌から離れること、
悪口から離れること、着飾った言葉から離れること、

修行僧たちよ、これが正しい言葉といわれるのである。

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煩悩を滅する修行法 八正道 2

八正道 とは、
「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」

八正道は、先に説明した通りなのですが、「正見」を「正しい見解」と
言われても、具体的に何が正しいのか分からないでしょう。

ブッダは、対機説法といって、相手に合わせて、相手に分かるように、
具体的に教えていったのだと思います。

「正見」とは、法を正しく見ること、すなわち真理を見ること、
無常、苦を正しく見ること、などと説明できるでしょう。

以前説明した言葉で言えば、「如実知見」とも言えます。

あるものをあるがままに見ることが、「正見」であり、
それは即ち、無常を見ることとなります。

仏典の中には、次のような言葉があります。

「修行僧たちよ、正しい見解とは、いったいなにか。
 
じつに、修行僧たちよ、

苦しみについて知ること、
苦しみの原因を知ること、
苦しみの消滅を知ること、
苦しみの消滅にいたる道を知ること、

これが、修行僧たちよ、正しい見解であるといわれるのである。」

つまり「四諦(四聖諦)」を見ることと言われています。

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中道と苦行

五蘊をあるがままに観ることは、ブッダの修行の基本です。
修行においてブッダは、快楽と苦行を捨てて、中道を歩んだと言われます。
中道は、ブッダの生き方の基本です。

ただし、ブッダは苦行を否定したわけではありません。
ブッダの弟子のなかには、苦行を続けている人もいました。
苦行が好きな人は苦行をしても構わないのです。

また、苦行と修行は異なります。
苦行の中には、ず~と息を止めておくとか、ほとんど物を食べないとか、
死にそうになるものがありました。

苦しければ苦しいだけ、覚りに近づくと考えられていたわけです。
ブッダは、ひたすら身心を痛めつけることは、必ずしも覚りとは
関係がないと考えました。

しかし、修行は必要だと考ています。
修行をしないで、これが中道だと言うのは、ブッダの考えとは違います。

ブッダは苦行を捨てましたが、大乗仏教が起こると、また苦行が復活します。
今の日本仏教界を見ると、苦行主義で厳しい行に挑む人々と、
戒律も修行も無視する人々の、両極端にあるように思えます。

これは伝統的なテーラワーダ(上座部)仏教の修行法とは、
かなり異なっています。

日本仏教の修行法については、大乗仏教の解説のなかで述べる予定です。

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五蘊とは

「五蘊のどこを探しても、我は無い」という仏教の基本的な考え方に
出てくる「五蘊」について解説します。

五蘊とは、人間の構成要素を、
色(しき)、受(じゅ)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)の
5つに分類したものです。

単純に言えば、色は身体のこと、残りの4つは、
心の働きを4つに分けたものです。

般若心経には、
色即是空、空即是色、受想行識 亦復如是(やくぶにょぜ)
と出てきます。

亦復如是とは、これもまた同じ という意味です。
(これはブッダの直説ではありませんが、わりと有名な言葉です。)

受想行識が、それぞれ心のどの働きを意味しているのかは、
いろいろな説があって、よく分かりませんが、
だいたい次のような感じになります。

受 感受作用。五感が刺激を受けて感知する。
想 認識対象からその姿かたちを分化させ識別する作用、表象作用。
行 記憶想起作用。意志作用。形成力。受想識以外の心の働き全て。
識 判断作用。対象を認識し言語化して概念として持つ。

細かい分類は置いておいて、
感受するということ、そしてそれを識別し、ある概念が発生してくるという
心の動きを認識することは、とても大切です。

それは瞑想の基本となります。

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インドでなぜ輪廻思想が生まれたのか

 インド人は、当初から輪廻思想を持っていたわけではなく、当初は
「死後に天界へ行き永遠に安楽に生きる」という思想が見られます。
だから、あまり死んだ後のことは心配していなかったようです。
今でいえば、死んだ後は極楽浄土に往き、安らかに暮らせると
信じているようなものでしょうか。

 しかしそうだとすると、この世では次々と人が生まれていきますから、
そのうち天界は死んだ人で満杯になってしまうのではないか、という
疑問が出てきます。

なぜ天界は死んだ人で満杯にならないのか? ということを考えていくと、
どうも単純に、すべての人が死後に天界で永遠に安楽に生きるとは、
言えなくなってきます。

 そこからいろいろな思想が生まれてきます。天界に生まれ変わっても、
永遠に生きるのではなく、またそこで死ぬのではないかという恐れも
生まれてきます。再死を恐れるようになるわけです。

天界で死んだら、次はどうなるのかと考えていくと、天界で死んだ後、
またこの世に戻ってくるという考えも出てきました。
つまり輪廻的な思想が生まれてくるわけです。

輪廻的な思想が生まれてくると、人々は、再死を恐れ涅槃
(永遠の安楽の場所)を求めるようになります。
そのような流れの中で、死後の行き先は生前の行いによって決まるという
因果応報の思想も浸透していきます。

仏教の輪廻思想は、このような思想の流れの中で生まれてきたようです。
仏教では天界の存在はそのまま認めています。
死んだら天界に生まれ変わります。
ただし善き行い、善き心を持った人だけです。

天界に生まれ変わっても、また死ぬかもしれないので、
覚りを得た人は、涅槃に往き、二度と死なないとしました。
ですから、涅槃に往くことを、「不死を得る」と言います。

ブッダの覚りは、
「人生は苦である。覚った人は苦であるこの世界に二度と生まれない。」
と表現されることがあります。

これは、「人生には楽しいこともある」と考える人から、
「仏教は暗い。私はまた生まれ変わりたい。」
と拒否されることがあります。

しかし、人々が涅槃に求めたものは、再死を恐れ不死を得ることだとしたら、
当時の人々がブッダの思想を受け入れた理由も、
納得いくのではないでしょうか?

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仏教では輪廻思想をどう考えるのか 2

日本ではお彼岸を始め、さまざまな日本の風習と仏教が結びついているため、
輪廻との関係がややこしくなります。
死んだ人が、今どこにいるのか、あるいはどこにもいないのか、
儀礼と教義を合理的に説明することが難しいように私には思えます。

(最も、宗教というのは元々合理的に説明つかないことが多いので、
それはそれで構わないとも考えられますが。)

これは日本に限ったことではありませんが、来世に浄土に生まれ変わるという思想も、
輪廻との関係がややこしくなります。
浄土とは、仏・菩薩の住む清浄なる国土のことで、来世の浄土、この世界の浄土、
この心に見る浄土、などいくつか考えられます。

ブッダの思想からいえば、この心にこそ浄土を見るというのは、分かりやすいでしょう。
今生きているこの世、現世を重視する密教では、この世界に浄土を見、
その実現ために活動します。浄仏国土などと言われます。

しかし最も信仰されているのは、来世の浄土、極楽浄土です。
特に阿弥陀如来のおられる西方浄土は、絶大な信仰を集めています。

これを本来の仏説(ブッダの教え)とは違うと批判するむきもありますが、
そのような批判をしていた人も、自分の死期が近づくと、阿弥陀如来に
おすがりするということが、よく見られるそうです。

最終的な心の平安において、阿弥陀如来は、理屈を超えて、
絶大な力を持っているといえるでしょう。

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仏教では輪廻思想をどう考えるのか 1

 インドで発展した有名な思想に、輪廻転生という思想があります。
人は死んだら生まれ変わるという思想です。

輪廻転生をブッダは認めていたのか?
学者のなかには、ブッダがそのような証明できないことを認めるはずがない
と、主張する人がいます。
仏典に出てくる輪廻の話は、方便(手段)や例え話であると考えるのです。

しかし、仏教各宗派のなかで、輪廻転生を完全に否定する宗派を、私は知りません。
仏教という宗教にとって、輪廻は基本となる思想となっています。

初期仏教では、人が死んだら直ぐに生まれ変わると考えるので、
死んだ人が死んだままでどこかに存在するとは考えません。
人、動物、天界の神など、何かに生まれ変わっていると考えるのです。
そもそも霊魂というものを認めないし、死んだ人があの世で存在しているとは
考えないのです。

チベット仏教では、死んですぐに生まれ変わるのではなく、
49日間の中有(ちゅうう)という期間を設定しています。
生きている間に覚りを得ている人は、そのまま涅槃に往けますが、
そうでない人には、僧侶が手助けし、涅槃や天界、より善き人などを目指します。
なかには、餓鬼、畜生に行く人もいます。

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