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大乗仏教(革新派仏教)では何が変わったのか

大乗仏教(革新派仏教)では何が変わったのか

初期仏教の話をひとまず終え、今回から大乗仏教の話に入ります。
大乗仏教は広範囲に及びます。ここでは、空海の密教を理解するために
空を中心とした話を少しだけ行います。

大乗仏教は、それまでの仏教を変革させた革新的な仏教です。
中国から日本に伝わった、般若経、法華経、浄土教、華厳経などは、
すべて大乗仏教経典です。

しかし、大乗仏教がいつ、どこで、どのような形で出来たのかは、諸説があり、
よく分かりません。当然、般若経、法華経などの作者も分かりません。

大乗仏教といっても多種多様ですが、だいたい次のような特徴を持ちます。

1.多仏思想
大乗仏教において、阿弥陀如来、観音菩薩、弥勒菩薩など多数の仏や菩薩を
信仰するようになります。
仏像なども、多数作られ、仏教美術が発展します。

2.菩薩道修行
初期仏教は修行によって阿羅漢(アラカン)になることを目指しています。
阿羅漢は、覚りを得て、二度とこの世に生まれ変わりません。
大乗仏教では阿羅漢を声聞・縁覚としてレベルの落ちるものとした上で、
自利と利他を実現する菩薩の道を上とします。
菩薩は覚りのレベルに達してもなお涅槃に往かず、この世に生き続けます。

菩薩の修行では、布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜、
禅定波羅蜜、般若波羅蜜の六波羅蜜が重視されます。

※波羅蜜(はらみつ) サンスクリット語のパーラミーター。
 完成態、彼岸(悟り)に到る行、到彼岸などと訳される。

3.真言・陀羅尼(マントラ・ダラニ):
インドでは古来から「真実の言葉には物事を成す力がある」とする思想があります。
ブッダは呪文のようなものは原則禁止しましたが、大乗仏教の中で復活を遂げます。

真言(マントラ)は、密教(後期大乗仏教)でも重視されます。
日本では鎌倉仏教以降、「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」という言葉が、
功徳ある言葉として唱えられるようになります。

4.如来蔵思想:
ブッダは煩悩にまみれているのが人間だとした上で、そこから脱却するために
修行を説きました。
大乗仏教の中から発生した如来蔵思想では、人間は生まれながらにして
仏性を持っているとします。

如来蔵思想がさらに進むと、もともと人は仏なのだから修行する必要はないという、
修行不要論も出てきます。

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唯識派 ~ 仏教の深層心理学

唯識は、大乗仏教の主要な理論のひとつです。
般若経、法華経、浄土教群などの大乗経典が作られ始めた頃を初期大乗とすると、
中期大乗の頃に大乗理論が発達しました。そのひとつが唯識です。

唯識の祖は、弥勒(マイトレーヤ)ということになっています。
(実際には違うと思われますが)
孫悟空で有名な三蔵法師(玄奘三蔵)も、唯識を中心に学んでいます。

唯識の特徴は、現代で言う、無意識や深層意識を、形にしたことです。
ブッダは、識を6つに分けました。眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、の五識と
意識で 六識です。

唯識では、意識の下に、マナ識、さらにその下にアラヤ識を考え、
七識、八識としました。いわゆる深層心理です。

マナ識は、深層にある我(自己執着の心)です。
アラヤ識は、マナ識のすべての識を生み出す「蔵」となる識です。
過去からのすべての記憶は、アラヤ識に貯めこまれます。

現代では、遺伝子という形で過去の情報を引き継いでいることが分かっていますが、
当時はアラヤ識というものを設定し、そこに永遠の過去からのすべての情報を
入れたのです。アラヤ識には、時空間を越えてすべての情報が収集し、
そこからさまざまな現象を生み出されるのです。

心理学者ユングは、無意識を個人無意識と集合無意識に分け、集合無意識を
他の人々と共有する意識層としていますが、この考え方は、唯識の影響を
受けていると思われます。

当時の唯識説そのままでは、現代科学からみて不合理なところもありますが、
今でも見るべきところは、いろいろあります。

唯識派は、深層意識を見るために、ヨーガの技法を使います。
そのため、瑜伽行唯識派(ゆがぎょうゆいしきは)や瑜伽行派(ゆがぎょうは)とも
よばれます。瑜伽とはヨーガのことです。

瑜伽行唯識派のヨーガ技法は、後に密教の瞑想法などにも
影響を与えることになります。

空とは何か ~中観派~ 1

空というのは、大乗仏教になってから盛んに言われだしたことで、
特に般若経系の経典で重視されています。
その「空」を理論的にまとめ、中観派の祖となったのが、
「ナーガルジュナ(龍樹、龍猛)」という人です。
(唯識派と中観派が、大乗仏教の2大理論流派です。)

「空」は、人によって、また経典によって、使われ方が微妙に異なります。
明確に固定された定義がないので、人々の理解に混乱があるようです。
ブッダも「空」という言葉を使っていますが、大乗仏教の使い方とは、異なります。

もともとブッダは、「空」ということを、中心教義としては語っていません。
「空」など考えずに、因果や縁起を中心に考えた方が、一般の方には
分かりやすいのではないかと思います。

とはいえ、「空」は『般若心経』をはじめ、日本人にも非常に関心のある
テーマだと思います。
次回は、あまり細部にこだわらずに、かつ出来るだけ不正確な記述に
ならないように気をつけながら、空について解説したいと思います。

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空とは何か ~中観派~ 2

「空」をひとことで説明するならば、
「すべての事物には自性が無い(無自性である)」ということです。

自性がないというのは、事物は、それ単独で存在することはなく、
必ず他の物があって、その関係のうえで存在するということです。

これは、「縁起」という概念で考えると理解しやすいと思います。
私たちは、単純に「パソコンがある」とか「机がある」という風に、
ものの存在を認めていますが、「空」という観点から見るならば、
そのように物が単純にその物だけで存在することは、あり得ないのです。

何かが存在するためには、必ずそれを存在せしめる「因」となるものがあり、
それが「縁」によって、一時的にあるものを存在させている、という風に見ます。

「因」も「縁」もひとつとは限りません。
さまざまな「因と縁」によって、私たちの身体や心、その他もろもろの事物は、
一時的に現象しているにすぎないのです。

その一時的な現象を、普通私たちは、固定的にあるものと見てしまいます。
それは、映画などのヴァーチャル(仮想)のものを見て、実際に存在すると
思うことに似ています。

映画であれば、映写機やスクリーンなど、そのヴァーチャルな世界を
作り出しているものまで含めて見ることができるので、私たちはそれが
実在ではなく、ヴァーチャルなものだと分かります。

もし、三次元のヴァーチャルな世界(仮想世界)があり、その仕掛けを知らないで、
そのヴァーチャルな世界に入ったなら、それが実在ではなく、仮想世界であると、
どうやって気づくでしょうか?
MATRIXという映画では、脳に直接映像を見せることにより、
仮想世界を現実と思わせています。

私たちのこの世界も、固定的な存在ではないのに、固定的存在であると
見てしまっています。これでは、仏教の基本である、
「あるものをあるがままに観る」ということになりません。

「この世界が空である」ということは、単独では存在できない事物
(無自性の事物)が、互いに縁によって関係し合うことで、この世界に
現象しているという、この世界のあり方を表わしています。

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空とは何か ~中観派~ 3

ブッダは、「一切」という言葉を、五蘊(心身)のことを意味して
使っています。
それ以外のことは、「一切」のなかに入らないのです。

しかし大乗仏教では、「一切」を宇宙全体にまで広げていきます。
「一切が空である」というとき、大乗仏教の世界観でいえば、この宇宙全体の
存在のあり方が、無自性であるということを意味しています。

そしてすべての事物は縁によって互いに関係し合うことによって、
存在していることを意味しています。
 
「空」の概略はそういうことなのですが、仏教では、人の生き方の問題に
関わっていきますから、説法や法話などでは、

「人というのは、自分ひとりで生きているのではないのです。
 ご両親をはじめ、多くの方々とのご縁によってこの世に生まれ、
 存在できるのです。これをお釈迦様は「空」とおっしゃられました。」

などという話になるわけです。

仏教を東洋哲学として語れば、「空という存在論や認識論」という話に
なるのですが、それでは、心の平安につながりません。
頭が痛くなるだけです。

宗教としての仏教は、人を救う話にしなければなりません。
それは哲学的な話とは、違うものなのです。

哲学的な話(学問)と、宗教的な話(心の救済)を同列に並べて語ると、
話はますます混乱していきます。

世にある多くの「空」に関する書籍も、どのような立場から書かれた
ものなのか、理解しながら読むと、より正確に理解できると思います。

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般若心経の秘密 ~ 般若心経の誕生

『般若心経』は最も人気のあるお経と言っていいでしょう。
日本の伝統宗派のなかで『般若心経』を全くとなえないのは、
浄土真宗さんなどごく少数ではないでしょうか。

それくらい有名なお経ですが、他の大乗経典同様、いつ、どのようにして
作成されたのかは分かっていません。

書店に行くと、僧侶、学者、一般愛好家など、さまざまな人が般若心経本を
出しています。
学問・哲学の観点と宗教・心の平安の観点は、必ずしも同じではないので、
その人なりのいろいろな解釈が生まれてくるわけです。

『般若心経』は、『般若経』と言われる多くの経典群の中から、
エッセンスだけを取り出して短くまとめたもの、というのが通説です。

般若経群をまとめたものとしては、『大般若経』というのがあり、
500万字くらいの長さになります。
『般若心経』には、小本と大本の2種類がありますが、日本でよく
読誦されている小本は、300字にも至りません。

『般若経』は、大乗仏教の一番初期のころに作られ始めたもので、
部派仏教の最大勢力である「説一切有部」の思想を
批判する内容になっています。

したがって、「説一切有部」の思想を知って『般若心経』を読むならば、
なぜあのような記述になるのか、よく分かるのです。
いまさら、もはや存在しない「説一切有部」の思想を学ぶ人も少ない
でしょうから、『般若心経』だけを読んで、ますます分からなく
なっていくということはあると思います。

そもそも、『般若心経』はエッセンスだけを取り出したものなので、
そのなかには解説がほとんどありません。
だから、『般若心経』だけをひねくり回しても意味が分かるはずもなく、
勝手な解釈が横行することになります。

般若心経の秘密 ~ 2種類の解釈 1

日本では伝統的に、『般若心経』に2種類の解釈があります。
ひとつは顕教の読み方、もうひとつは密教の読み方です。
密教的読み方を日本で始めて主張したのは、空海です。

『般若心経』は、大きく二つの部分に分けることができます。
前半と後半では、かなり内容が違います。

前半は、「色即是空」に代表される「空」と「無眼耳鼻舌身意」など
「無」のオンパレードです。
後半は、功徳を並べたて、真言(マントラ)を唱えて終わります。

顕教的な読み方では、前半の「空」と「無」を重視し、
『般若心経』は「空」を説いた経典であるとします。
『般若心経』の価値を、特に前半の部分に置き、後半のマントラ(真言)
のようなものには、あまり価値を置きません。

浄土真宗さんが『般若心経』を唱えないのも、真言(マントラ)と
浄土真宗さんの教義が合わないからだと思います。

それに対して、密教では、むしろ後半の部分にこそ『般若心経』の
価値を見出します。
真言こそ、『般若心経』が伝えたかったエッセンスだと考えます。

つまり、『般若心経』は空を説いた経典(解説書)ではなく、真言を使った
瞑想のツールであるというのが、空海に始まる密教サイドの見方です。

僧侶や学者が書いた市販の本も、どちらの立場から書かれたものかで、
内容がかなり違ってきます

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般若心経の秘密 ~ 2種類の解釈 2

『般若心経』の2種類の読み方の続きです。

顕教の立場では、『般若心経』の「心」を心髄という意味にとります。
『大般若経』の心髄をまとめたものを『般若心経』と考えるわけです。

「心」はサンスクリット語では、「フリダヤ」となります。
密教の立場では「フリダヤ」を心真言と解して、最後の真言こそ
『般若心経』のポイントだと考えます。

おそらく、『般若心経』の成立過程としては、『大般若経』の心髄をまとめた
というのが実際であり、その意味で「空」を説く経典であるという見方は
正しいと思います。『般若経』は「空」を中心とする経典群だからです。

しかし『般若心経』が実勢にどういう使われ方をしてきたかと言えば、
瞑想のツールという見方の方が適切だと考えます。
『般若心経』はあまりに簡略化されていて、「空」の解説としては、
もはやその体を成していません。

経典には一定の形式がありますが、『般若心経』はその形式も満たしていません。
サンスクリット本には、経典のタイトルもありません。
『般若心経』というタイトルは漢文に独自につけているもので、
宗派によって、
「般若波羅蜜多心経」「摩訶般若波羅蜜多心経」「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」
など、タイトルも異なります。

読誦することにより効力を発揮する文言として「陀羅尼(だらに)」というものが
ありますが、『般若心経』は「陀羅尼」として利用されてきたというのが
実情ではないでしょうか。

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般若心経の秘密 ~ 2種類の解釈 3

空海は『般若心経秘鍵』という書を書き、そのなかで「チク・マンの真言を種子とす。
諸教を含蔵せる陀羅尼(だらに)なり」と書いています。

種子(種字)は、仏を表す文字で、瞑想に利用されるものです。
このことからも、『般若心経』が陀羅尼であり、瞑想のツールとして
使われてきたことが分かります。

般若経系の瞑想法(成就法)は、漢訳、チベット語、サンスクリット語
(インド語)を合わせると、30以上見つかっています。
種子、真言、陀羅尼などを使った瞑想は、インドにおいて広く行なわれていたと
思われます。

在家者も、出家者のような高度な瞑想は行なわないにしても、
真言を唱えるなどの瞑想は、行なっていたと考えられます。
『般若心経』は、一般在家の人にも手軽に唱えられる陀羅尼として、
広く親しまれていたのでしょう。

ある脳研究では、読経には瞑想と同じ効果があるとされています。
瞑想によって分泌される「セロトニン」などの脳内物質が、読経によっても
確認されるとのことです。

これは意味を考えないで読む方が良いようです。
意味を考えながら(思考を働かせながら)だと瞑想効果は低くなるようです。

意味は分からなくても構わないので、一心に『般若心経』を唱えてみてください。
瞑想の功徳(即ち仏の功徳)があることでしょう。

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般若心経 ~ 解説本 4

私見によれば、般若心経の解説本は、4種類に分けることができると思います。

1.個人の思想に合わせて解説したもの
2.仏教教理を基に独自の解説をしたもの
3.文献学的に心経作成時の意図を読み取ろうとするもの
4.我説のために部分的に利用するもの

例えば

1.個人の思想に合わせて解説したもの
物理学者が宇宙論や素粒子論で、般若心経を語ったり、個人の人生を
般若心経に照らし合わせて語るようなものです。
素人の見方が、逆に大衆の心をつかみ、ヒット作になることがあります。

僧侶でも、このような本を出す人がいますが、仏教界からは、
あまりいい顔をされないように思います。
僧侶は、正しく法を伝えるべき、という前提がありますから。

2.仏教教理を基に独自の解説をしたもの
独自ということでは、1と同じですが、仏教教理に基づいて
体系化されているものです。
代表的なのは、空海の『般若心経秘鍵』です。
これは、般若心経を密教の経としてみるものです。

宮坂宥洪氏の『真釈般若心経』(角川ソフィア文庫)なんかも面白いです。
空海とはまた違う、独自の密教観から般若心経を解説しています。
古いバージョンですが、
http://www.mikkyo21f.gr.jp/index.html
の「『般若心経』のほんとの意味」 に解説が出ています。

また般若心経は、いわゆるお経というより、陀羅尼や瞑想のツールとして
使われてきたようで、その観点から書いたものが、
『密教瞑想から読む般若心経』(越智淳仁著)です。
般若心経を使った瞑想方法などが書かれています。

3.文献学的に心経作成時の意図を読み取ろうとするもの
この立場は、独自の解釈を入れずに、般若心経作者に忠実になろうと
するものです。
これが難しいのは、まず、漢訳が複数あることです。
必然的にサンスクリットの原典にあたることになりますが、
語義というのは時代や文脈によって変わりますから、やはり
解釈の違いが生まれます。

『般若心経とは何か』(宮元啓一著)など、分かりやすいと思います。

4.我説のために部分的に利用するもの
これは、自分の主張を説明するのに都合のよい部分だけを
般若心経から引っ張ってきて、解説するものです。
「それは違うだろ」と思わず突っ込みたくなるような本もあります。

以上の分類は、私の独断によるものです。

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