序章:仏教は宗教なのか?
仏教は一般的に宗教として位置づけられているでしょう。もちろんその事に異論はありません。仏教は確かに、宗教としてアジアを中心とする国々に広まっていきました。
しかし、宗教(religion)という概念が西洋社会から発していることを考えますと、仏教は必ずしも西洋社会が想定する宗教(religion)とは言い切れないところがあります。仏教と心理学・心理療法との関係を考察するにあたって、まずこの点について明確にしておきたいと思います。
西洋の諸国においては、宗教、哲学、科学、心理学などが、それぞれ明確に分類され、個々に発展していく傾向にあるようです。ソクラテス・プラトン・アリストテレスに代表されるギリシャ哲学は、宗教としては扱われていません。デカルト・カント・ヘーゲルなどの近代哲学は、キリスト教の影響を強く受けながらも、宗教とは一線を画しています。フロイトやユングの説は、心理学や思想として扱われることはあっても、やはり通常宗教としては扱われていません。
このように西洋社会においては、哲学や科学が、宗教の思想的影響を背後に持ちながらも、宗教ではない世界を開拓してきた歴史があります。
一方仏教では、このような区分が希薄であるように思われます。ブッダの対機説法は、ソクラテスの対話術と比較されるかもしれません。無我や非我を唱える仏教の教えは、「我思う故に我有り」というデカルトの思想と比較されることもあります。プラトンの「イデア」やカントの「物自体」の概念が、仏教の思想と比較されることもあります。大乗仏教の一派である唯識(ゆいしき)派は、意識の下に末那(まな)識や阿頼耶(あらや)識の存在を想定しましたが、これは西欧心理学の個人的無意識や集合的無意識と対比されることがあります。
仏教では、因果や縁起、空などの思想に基づいて認識論や存在論を展開しますが、これらはポストモダンと呼ばれる一連の哲学や量子力学などの科学と対比されることもあります。
このように仏教の理論や思想に立ち入ってみますと、それは西洋的宗教概念というより、西洋の哲学や科学に相当するものを数多く見ることができます。
つまり、仏教は確かに宗教として広まったのですが、その中には西洋社会で意味するところの哲学や心理学を内包していると考えることができるのです。このことは仏教の包容性や壮大さを示すものであると同時に、仏教を複雑で分かり難いものとしているように思われます。
仏教は大衆に広まるなかで、哲学や論理よりも信仰を中心として発展してきた側面があります。仏教が持つ存在論や認識論は理解できなくても、仏を信じることは可能であり、それは人々を救い力づけてきたのです。
しかし科学が発達する中において、素朴な形での信仰は形を変えつつあります。特に日本においては、無宗教を自認する人が増え、特定の宗教・宗派への帰属が失われつつあります。無宗教と自認していても、葬儀やお墓参りなどには参加する人が多く、まったく宗教心が無いというよりも、特定の宗教宗派の教義(ドグマ)を信じない人が多くなったということでしょう。
このような社会状況の変化のなかで、仏教は新たな形で注目され始めています。ひとつは、西洋社会における仏教の受容です。例えば「禅」に関心を持つ人々は、西洋諸国においても数多く存在します。これは必ずしも仏教徒となることを意味しておらず、自らの精神を高める修行として位置づけられることが多いようです。テーラワーダ仏教(南伝仏教)で行われているヴィパッサナー瞑想も、心理療法の世界などに取り入れられています。
「禅」や「空」などの思想は、ポストモダンと呼ばれる哲学においても関心を持たれることが多いようです。キリスト教的世界観とは異なる仏教の世界観は、西洋哲学の世界にも影響を与えています。
西洋社会においても、環境問題や世界との共生が強く意識されるようになってきましたが、大乗仏教は、世界や自然との共生を道とするものであり、これからの社会のあり方や生き方を考えるうえにおいて、大きな指針となるかもしれません。
宗教心が希薄になったと言われる日本では、道徳心の低下、カルト宗教への入信、占いやオカルト現象への傾倒など、さまざまな問題が指摘されています。政教分離の原則から、公教育における宗教教育は実質不可能でしょうが、適切な宗教的知識の無いことによるリスクに対しては、何らかの対応が必要であると考えられます。
また、欧米諸国で仏教が注目されていることから、日本への逆輸入という現象も今後増えるかもしれません。
例えば、欧米の心理療法家のなかには、禅やヨーガ、瞑想などの行に取り組む動きも見られます。これらの行法は、心理療法家としての自己を高める有効な方法であると思われますが、日本においてはあまり重視されていないように見受けられます。しかし心理療法の手法をいくら学んでも、心理療法家自身が自己を統制できていなければ、良い心理療法の提供は難しいでしょう。
さまざまな心理療法は開発されていますが、心理療法家自身の精神的レベルを向上するプログラムは、まだまだ不十分であるように思われます。したがって今後このような取り組みは増えるかもしれないと考えています。
トランスパーソナル心理学の世界では、タオ(老荘思想)、ヨーガ、仏教などの思想が、色濃く反映されています。トランスパーソナル心理学は、心理学の学会においてはまだまだマイナーな存在であると思われますが、今後の発展によっては、トランスパーソナル心理学を通じて、仏教などの東洋思想を知るという人も増えてくるかもしれません。
このような仏教の動向は、必ずしも宗教的仏教とは限りません。したがって仏教を、ただ宗教として見ているだけだと、仏教の全体像が見えてきません。特に日本の伝統仏教では、葬儀やお盆などの時以外接することも少なく、生活に密着しているとは言い難いところがあります。このあたりは日曜学校などのあるキリスト教会との大きな違いでしょう。その意味では、仏教を葬儀関連の行事という観点でしか見ることができないのは、現代日本では当然のことなのかもしれません。仏教の教義や思想などを聞く機会もないでしょうし、それが自分の人生とどう関わるのか分からない人が大半なのだろうと思います。
しかし、哲学や心理療法など、さまざまな分野に仏教が顔を出し始めた今、新たな角度から仏教を知るチャンスは、飛躍的に増えていると思われます。
この書は、まさにそのための一冊であり、心理学・心理療法として、人とのコミュニケーションとして、人生の指針・自己の生きざまへの糧として、新たな視点から仏教を提供したいと考えています。
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