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2010年1月

序章:仏教は宗教なのか?

 仏教は一般的に宗教として位置づけられているでしょう。もちろんその事に異論はありません。仏教は確かに、宗教としてアジアを中心とする国々に広まっていきました。
 しかし、宗教(religion)という概念が西洋社会から発していることを考えますと、仏教は必ずしも西洋社会が想定する宗教(religion)とは言い切れないところがあります。仏教と心理学・心理療法との関係を考察するにあたって、まずこの点について明確にしておきたいと思います。

 西洋の諸国においては、宗教、哲学、科学、心理学などが、それぞれ明確に分類され、個々に発展していく傾向にあるようです。ソクラテス・プラトン・アリストテレスに代表されるギリシャ哲学は、宗教としては扱われていません。デカルト・カント・ヘーゲルなどの近代哲学は、キリスト教の影響を強く受けながらも、宗教とは一線を画しています。フロイトやユングの説は、心理学や思想として扱われることはあっても、やはり通常宗教としては扱われていません。
 このように西洋社会においては、哲学や科学が、宗教の思想的影響を背後に持ちながらも、宗教ではない世界を開拓してきた歴史があります。

 一方仏教では、このような区分が希薄であるように思われます。ブッダの対機説法は、ソクラテスの対話術と比較されるかもしれません。無我や非我を唱える仏教の教えは、「我思う故に我有り」というデカルトの思想と比較されることもあります。プラトンの「イデア」やカントの「物自体」の概念が、仏教の思想と比較されることもあります。大乗仏教の一派である唯識(ゆいしき)派は、意識の下に末那(まな)識や阿頼耶(あらや)識の存在を想定しましたが、これは西欧心理学の個人的無意識や集合的無意識と対比されることがあります。
 仏教では、因果や縁起、空などの思想に基づいて認識論や存在論を展開しますが、これらはポストモダンと呼ばれる一連の哲学や量子力学などの科学と対比されることもあります。
 このように仏教の理論や思想に立ち入ってみますと、それは西洋的宗教概念というより、西洋の哲学や科学に相当するものを数多く見ることができます。

 つまり、仏教は確かに宗教として広まったのですが、その中には西洋社会で意味するところの哲学や心理学を内包していると考えることができるのです。このことは仏教の包容性や壮大さを示すものであると同時に、仏教を複雑で分かり難いものとしているように思われます。
 仏教は大衆に広まるなかで、哲学や論理よりも信仰を中心として発展してきた側面があります。仏教が持つ存在論や認識論は理解できなくても、仏を信じることは可能であり、それは人々を救い力づけてきたのです。
 しかし科学が発達する中において、素朴な形での信仰は形を変えつつあります。特に日本においては、無宗教を自認する人が増え、特定の宗教・宗派への帰属が失われつつあります。無宗教と自認していても、葬儀やお墓参りなどには参加する人が多く、まったく宗教心が無いというよりも、特定の宗教宗派の教義(ドグマ)を信じない人が多くなったということでしょう。

 このような社会状況の変化のなかで、仏教は新たな形で注目され始めています。ひとつは、西洋社会における仏教の受容です。例えば「禅」に関心を持つ人々は、西洋諸国においても数多く存在します。これは必ずしも仏教徒となることを意味しておらず、自らの精神を高める修行として位置づけられることが多いようです。テーラワーダ仏教(南伝仏教)で行われているヴィパッサナー瞑想も、心理療法の世界などに取り入れられています。
 「禅」や「空」などの思想は、ポストモダンと呼ばれる哲学においても関心を持たれることが多いようです。キリスト教的世界観とは異なる仏教の世界観は、西洋哲学の世界にも影響を与えています。
 西洋社会においても、環境問題や世界との共生が強く意識されるようになってきましたが、大乗仏教は、世界や自然との共生を道とするものであり、これからの社会のあり方や生き方を考えるうえにおいて、大きな指針となるかもしれません。

 宗教心が希薄になったと言われる日本では、道徳心の低下、カルト宗教への入信、占いやオカルト現象への傾倒など、さまざまな問題が指摘されています。政教分離の原則から、公教育における宗教教育は実質不可能でしょうが、適切な宗教的知識の無いことによるリスクに対しては、何らかの対応が必要であると考えられます。

 また、欧米諸国で仏教が注目されていることから、日本への逆輸入という現象も今後増えるかもしれません。
 例えば、欧米の心理療法家のなかには、禅やヨーガ、瞑想などの行に取り組む動きも見られます。これらの行法は、心理療法家としての自己を高める有効な方法であると思われますが、日本においてはあまり重視されていないように見受けられます。しかし心理療法の手法をいくら学んでも、心理療法家自身が自己を統制できていなければ、良い心理療法の提供は難しいでしょう。
 さまざまな心理療法は開発されていますが、心理療法家自身の精神的レベルを向上するプログラムは、まだまだ不十分であるように思われます。したがって今後このような取り組みは増えるかもしれないと考えています。
 トランスパーソナル心理学の世界では、タオ(老荘思想)、ヨーガ、仏教などの思想が、色濃く反映されています。トランスパーソナル心理学は、心理学の学会においてはまだまだマイナーな存在であると思われますが、今後の発展によっては、トランスパーソナル心理学を通じて、仏教などの東洋思想を知るという人も増えてくるかもしれません。

 このような仏教の動向は、必ずしも宗教的仏教とは限りません。したがって仏教を、ただ宗教として見ているだけだと、仏教の全体像が見えてきません。特に日本の伝統仏教では、葬儀やお盆などの時以外接することも少なく、生活に密着しているとは言い難いところがあります。このあたりは日曜学校などのあるキリスト教会との大きな違いでしょう。その意味では、仏教を葬儀関連の行事という観点でしか見ることができないのは、現代日本では当然のことなのかもしれません。仏教の教義や思想などを聞く機会もないでしょうし、それが自分の人生とどう関わるのか分からない人が大半なのだろうと思います。

 しかし、哲学や心理療法など、さまざまな分野に仏教が顔を出し始めた今、新たな角度から仏教を知るチャンスは、飛躍的に増えていると思われます。
 この書は、まさにそのための一冊であり、心理学・心理療法として、人とのコミュニケーションとして、人生の指針・自己の生きざまへの糧として、新たな視点から仏教を提供したいと考えています。

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はじめに

 平安時代の始め、空海は日本の文化や思想に大きな影響を与えることとなる「真言密教」という新たな仏教を創造しました。それは約2,500年前に誕生したブッダの思想を源流とし、大乗仏教の発展過程を引き継ぎながらも、空海独自の世界観と構造を持っています。
 日本の文化や思想の発展に大きな影響を与えた空海の思想は、現代の視点から見たときに、また新たな魅力を見せてくれます。それは空海の思想のなかに、現代に通じるものが数多く存在するからだと思います。
 仏教は「宗教」という枠組みのなかで語られることが多いのですが、仏教には、「哲学」、「心理学」、「修行法(ヨーガ等)」、「芸術」など多用な側面が存在します。宗教や信仰という枠組みを外し、多様な視点から空海の思想に迫るとき、それは平安時代という古代日本に留まるものではなく、今この時に活きる思想として私たちの眼の前に現れてきます。

 空海の思想を現代の思想として語るとき、コミュニケーション心理学の理論と実践は大きな力となります。コミュニケーション心理学の実践は、ブリーフセラピー(短期療法)と呼ばれる心理療法のなかで発展してきました。ブリーフセラピーは、20世紀後半に誕生した歴史の浅い心理療法であり、歴史と伝統のある空海(真言密教)とは背景が大きく異なります。ブリーフセラピーは理論的にも実践(臨床)的にも発展途上にあり、新しい流派や技法が次々と誕生している状況にあります。
 しかし、家族療法、SFA(ソリューション・フォーカスト・アプローチ)、ナラティブセラピー、NLPなどのブリーフセラピーと、その背景となる理論であるコミュニケーション論やシステム論に焦点をあてるとき、空海の思想との不思議な共通点が浮かび上がってきます。
 この書では、空海とコミュニケーション心理学(ブリーフセラピー)を比較していきながら、両者へのより深い理解を提供することを目的としています。同時にそのことが、読者ひとりひとりの人生にとって、有意義な思想となり実践につながることを願っています。

本書の全体構成
 まず序章では、「仏教は宗教なのか?」と題して、この書における仏教の位置づけについて述べています。仏教は2,500年におよぶ歴史のなかで、非常に多様で複雑な体系を持つものになっています。したがって一口に「仏教」といっても、その意味するところは取り上げる人によってかなり異なってきます。そのため、まずこの書における仏教像を記述することとしました。

 第1章では、仏教と心理学・心理療法の関係を理解するために、仏教と心理療法の協同的関係を中心に、いくつかの活動を紹介しています。仏教と心理療法をまったくかけ離れたものとして捉えている人も多いと思いますが、決して無関係なものではないということが分かっていただけると思います。
 第2章~第4章は、歴史、思想、技法の3つの観点から、空海(真言密教)とブリーフセラピー(コミュニケーション心理学)を比較しています。密教やブリーフセラピーを専門としない人にも理解できるように、基本的なことから記述していくように心がけました。
 第5章は、空海(真言密教)とブリーフセラピーの比較を通じて得られた知見を元に、未来に向けた提言を行っています。密教的生き方、スピリチュアルな生き方というものを、空海の思想とグレゴリー・ベイトソンなどのコミュニケーション論を踏まえて考えてみました。

 記述に際しては、仏教と心理療法双方の関係者を念頭に置いています。そのために専門家の立場からは基本的すぎると思われることも、あえて記述しているところがあります。専門外の読者が理解しやすいように、記述が一部重複しているところもありますので、ご了承願います。
 記述のなかには、ブッダとカタカナ表記しているところと、仏陀や釈尊と表記しているところがあります。明確には区分できませんが、歴史的あるいは学問的文脈では「ブッダ」、宗教的文脈では仏陀や釈尊と記述することを基本としています。同様に歴史的あるいは学問的文脈では「空海」、宗教的文脈では「お大師さま」という表現を用いるようにしました。

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第1章 仏教と心理学 Ⅱ

3. トランスパーソナル心理学
 トランスパーソナル心理学は、行動主義心理学、精神分析、人間性心理学に続く第四の心理学として発展してきました。自己を超越する心を想定する心理学であり、さまざまな思想や技法が混在しています。
 人間性心理学の世界でも著名なアブラハム・マズローは、欲求五段階説(自己実現理論)のなかで自己実現の欲求を最上位に設定しますが、さらに至高体験に言及することによりトランスパーソナル心理学への道を切り開いていきます。
 
 1970年代にアメリカ西海岸を中心にブームとなった「ニューエイジ」は、トランスパーソナル心理学に多大な影響を与え、「ニューエイジ」発展の原動力にもなったエサレン研究所は、現在でもトランスパーソナル心理学の重要な研修場となっています。
 著名なトランスパーソナル心理学者であり思想家でもあるケン・ウィルバーは、意識の成長段階を“プレパーソナル”“パーソナル”“トランスパーソナル”と分類し、自己を超える意識を概念化しました。仏教瞑想やヨーガなどの意識変容システムは、“トランスパーソナル”を実現する有力な方法となります。
 プレパーソナルとトランスパーソナルは、自我を離れているという点では共通しています。そのため自我の確立していない未成熟な段階を聖なる次元と誤解したり、自我を超えた次元を退行的・幼児的状態と誤解することがあるといいます。
 仏教では自我の確立について語られることが少なく、無我や空を重視します。しかしケン・ウィルバーは、自我の確立を含めた発展段階のなかにトランスパーソナルを位置づけています。

 自己を超越した意識は、心理学の領域よりも宗教の領域で中心的に扱われてきたものかもしれません。至高体験など客観的に扱うことが困難な意識を対象とするトランスパーソナル心理学は、非科学的と見られることもあります。発展途上であるトランスパーソナル心理学には、玉石混合の状態かもしれませんが、臨床の場では、呼吸法や瞑想などを使い効果を上げています。仏教の思想や技法がさまざまな影響を与えていることも間違いないでしょう。

コラム ケン・ウィルバーとインテグラル思想】 
 ケン・ウィルバーは現在、インテグラル思想という独自の思想を打ち立てています。インテグラル思想の基本となるのは「AQAL」と呼ばれる概念であり、世界を4つの象限とレベルの観点から捉えています。
 4つの象限は、I(私)、We(私たち)、It(それ)、Its(それら)の4つです。同じひとつの事象に対しても、異なる観点から見れば異なる現象として現れます。4象限は、I(意志的)、We(文化的)、It(行動的)、Its(社会的、システム的)という4つの観点を提供し、世界の多様な見方を4つにまとめています。
 個人主観主義は(I)、間主観的相対主義は(We)、科学実証主義は(It)、システム理論は(Its)という風に、心理、宗教、文化、科学などさまざまな観点を含み、それらの統合的アプローチをウィルバーは主張しているようです。 またレベルという概念では、古いレベルを含みながらそれを超えていくという弁証法的な成長・発達の基本構造を語っています。
 インテグラル思想は、トランスパーソナル心理学という枠組みに収まらない大きな思想体系を目指しているように思えます。それは、儒教、道教、バラモン教から日本固有の思想までを包括した空海の「十住心論」に似ているかもしれません。


4. フォーカシング
 フォーカシングは、ユージン・ジェンドリンが開発した手法であり、カール・ロジャーズが提唱した来談者中心療法と共に使われることが多いようです。また最近では、トランスパーソナル心理学にも取り入れられています。
フォーカシングでは、身体に意識を向けそこに浮かびあがる感覚(フェルト・センス)を感じていきます。フェルト・センスを感じたら、それにピッタリくる言葉を探し、フェルト・センスとコミュニケーションします。
 この一連のプロセスは、仏教における瞑想、特にヴィパッサナー瞑想に近いものがあります。フォーカシングは仏教瞑想を基にして考え出されたものではなく、西洋心理療法のなかから生まれてきたものだと言われています。つまり仏教との直接的なつながりはないということですが、それにも関わらずその内容は仏教瞑想に近似しています。
 仏教瞑想の原点は、『大念処経(マハーサティパッターナ・スッタ)』 に示される「四念処」や『出入息念経(アーナパーナサティ・スッタ)』 などに求められます。現在東南アジアを中心に普及しているテーラワーダ仏教(上座部仏教)では、ヴィパッサナー瞑想 という名称でこれらの経典をベースとした瞑想を行っています。
四念処とは、身体、感受、心、法、の四つをありのままに観る瞑想のことですから、身体の感覚を通じて心とコミュニケーションするフォーカシングの方法は、四念処やヴィパッサナー瞑想[i]のひとつと捉えることも可能かもしれません。
 フォーカシングは、すでに臨床の場において多くの成果を実証しており、これは仏教とはまったく異なる理論体系から仏教の有効性を証明した事例といえるのではないでしょうか。

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[i] 現在上座部仏教で行われているヴィパッサナー瞑想は初期仏教の経典と異なるところも見られますが、理論的根拠として『大念処経』や『出入息念経』などが引用されています。

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第1章 仏教と心理学

 ブリーフセラピー(コミュニケーション心理学)と空海(真言密教)との関係に言及した研究は、ほとんど眼にすることはありません。しかし、心理学・心理療法と仏教との関係に関して探してみると、さまざまな研究や活動を見つけることができます。
 この章では、仏教との関係が見受けられる心理学や心理療法を、いくつかご紹介します。仏教と心理学が決して相容れないものではないことが、お分かりいただけると思います。

1.ユング心理学と仏教

 フロイトとともに夢や深層心理を研究していたユングは、意識と無意識を区別し、無意識のなかに個人的無意識と集合的無意識(普遍的無意識)を見いだしていきます。一方、大乗仏教・唯識派では、通常では人が意識していない末那(まな)識や阿頼耶(あらや)識という意識の存在を想定しています。初期仏教の時代から伝えられてきた眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六つの識に加え、唯識派では、第七識として、自我執着心である末那(まな)識、第八識として、一切諸法を生みだす根源的な心としての阿頼耶(あらや)識を想定します。

 末那識・阿頼耶識と、ユングの想定する個人的無意識・集合的無意識は、必ずしも同一の内容ではありませんが、意識の下に個人レベルの潜在意識があり、そのさらに下に普遍的な潜在意識を想定する点においては共通しています。

 ユングは、禅やヨーガを西洋社会に紹介することも積極的に行なっています。『クンダリニー・ヨーガの心理学』には、クンダリニー・ヨーガを心理学の観点から講義した模様が収められており、ユングがチャクラと深層心理の関係に注目していたことが分かります。
 禅に関しては、鈴木大拙氏の『禅仏教入門』[i]の独訳に序文を書き、次のように述べています。

「これは『悟りの内容』について多くをわれわれに教えてくれる。悟りの生じることは自我という形で限定された意識による、非自我としての自己へのブレイクスルーとして解釈され、また、公式化される。このような観点は、禅に対するのみならず、マイスター・エックハルトの神秘主義にも適合される」。(河合隼雄訳)

 このようにユングは、西洋的価値観や思想を手放すことなく、しかし仏教を中心とする東洋思想に強い関心を示し、新たな心理学を構築していったのです。
 ユングの思想は、心理学の範疇を超え、科学的には証明できない話も数多く見られますが、しかしそれはユングの価値を低めるものではなく、豊かな構想を描き出す、ユングの魅力となっているように思われます。

2.認知行動療法とマインドフルネス瞑想

 認知行動療法は、行動心理学や認知心理学をベースに考えられた心理療法であり、現在最も広く認知されている心理療法のひとつです。
 行動療法は、パブロフの犬に代表されるように、心と行動を結びつけます。行動という観測可能な現象を対象にするため、心理学が求める統計データを収集しやすく、データに基づく理論化が進んでいます。
 さらに、人の認知のあり方が心に影響を及ぼすことを踏まえて、不適切な認知を適切な認知に修正していく認知療法が組み合わされ、認知行動療法として活用されています。
 このように心理学界のみならず医療の現場などでも比較的評価の高い認知行動療法ですが、瞑想と組み合わせることにより、さらに高い効果を発揮するという報告があります。
 Z.V.シーガル達は、認知行動療法とマインドフルネス瞑想(ヴィパッサナー瞑想[ii])を組み合わせた心理療法を実践し、その効果を報告しています。彼らが「マインドフルネス認知療法(MBCT)」と呼ぶプログラムの臨床研究によれば、3回以上の大うつ病を経験した患者に「MBCT」を実施した場合、うつの再燃率が66%から37%に低下しています。瞑想と治療との関係については、多数の報告がありますが、本研究は、マインドフルネス瞑想(観察型瞑想)の、うつに対する影響を示唆する貴重なデータを提供しています。[iii]

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[i] 原著は An Introduction to Zen Buddhism, 1934.(英文)
[ii] 仏教瞑想のひとつで、ミャンマー(ビルマ)などを中心に発展してきた。禅とともに世界的に有名な仏教瞑想である。
[iii] 『マインドフルネス認知療法』p.260–264 

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