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2010年2月

第2章歴史編 より早い効果を求めて

より早い効果を求めて

 平安時代に生まれた密教と、20世紀に生まれたブリーフセラピーでは、その歴史は全く異なります。当然歴史的な接点は全くありません。
 しかし密教もブリーフセラピーも、より速く短期間に成果を得たいという要請に応えようとしてきたことでは共通しています。

 密教誕生の理由のひとつに、より速やかに覚りに至るということがあります。三劫成仏(何度も何度も生まれ変わってようやく覚りにたどり着く)とするそれまでの大乗仏教に対して、この世において覚りを得るという密教の理念はとても魅力的であり、悩み苦しむ人々からの大きな期待があったと思われます。
 一方、ブリーフセラピー(短期療法)は、その名前の示すように、短期間で速やかに治療効果を出すことをひとつの目標としています。
 長期に渡る修行や治療という現実のなかで、短期間に速やかに結果を得たいという願いが、密教やブリーフセラピーを生み出す力となったのではないでしょうか。

 ブリーフセラピーの源流であり天才療法家と呼ばれたミルトン・エリクソンも仏教の開祖ブッダも、理論家というよりは実践家としての生き方を重視したように思います。
 ミルトン・エリクソンは、自身の療法の理論化には積極的ではありませんでした。他では治らなかったクライアントを次々と治したエリクソンは、「理論はクライアントの数だけ存在する」と言って理論化を拒否していました。そしてそのクライアントに合った療法を、その場その場に合わせて使っていったのです。
 このエリクソンの姿勢は、対機説法を行なったというブッダを彷彿させます。仏教はブッダの死後、多くの弟子たちによって次々と理論化されていきます。経典が整理編纂され、アビダルマなどの論書が部派ごとに作成されます。ブッダの生存中においても、理論面においては智慧第一と言われたシャーリプトラが中心になっていたと伝えられています。
 つまりブッダは、仏教の理論化・哲学化よりも人々が法を聞き、覚りに向かうという実践に関心があったのだと考えられます。

 実践を重視したブッダ、エリクソンの姿勢は、現在の多様なブリーフセラピーや、密教のなかにも受け継がれています。

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第2章歴史編 ブリーフセラピー(短期療法)の誕生

2.ブリーフセラピー(短期療法)の誕生

 ブリーフセラピーは、コミュニケーション論をベースとした心理療法として、MRI(Mental Research Institute) を中心に開発されてきました。心理療法とは、心理的問題や精神的問題の解決、心的精神的健康の増進を目的とする理論や技法の体系を意味します。ブリーフセラピーは、コミュニケーション心理学の具体的実践として、多くの実績をあげてきました。

 ブリーフセラピーの源流は、天才療法家と言われたミルトン・エリクソン(1901~1980)にさかのぼります。ミルトン・エリクソンは近代催眠の祖とも言われ、催眠を利用した独特な療法を実施し、他で改善しなかった多くのクライアントの問題を解決しました。しかしミルトン・エリクソンは自身の療法を理論化することを嫌い、「クライアントの数だけ療法はある」という姿勢を貫きました。
 哲学的な体系、理論的な構築よりも、現場におけるコミュニケーションを重視するあり方は、学者ではない実践家としての姿なのでしょう。ミルトン・エリクソンの弟子たちは、彼の療法を研究し、その一部を受け継ぎ、また独自に発展させながら理論化し、ブリーフセラピーと呼ばれるいくつかの流派を創りだしていきました。

 ブリーフセラピーのもうひとつの源流は、グレゴリー・ベイトソン(1904~1980)にあります。ベイトソンは、バリ島の研究 など文化人類学者であると同時に、コミュニケーション論の分野で大きな功績を残しています。ベイトソンは家族療法グループと連携し、コミュニケーション論やシステム論を使ったセラピーの研究を行なっています。ベイトソンはミルトン・エリクソンとも親交が深く、この家族療法はやがてブリーフセラピー誕生の基盤となっていきます。

 ブリーフセラピーを本格的に研究し始めたのは、家族療法の研究を中心に活動していたMRIです。今までの心理療法に比べて短期間で改善がみられるという謳い文句で、MRIはブリーフセラピー(家族療法)を推進していきます。 1
MRIではブリーフセラピー(家族療法)を中心に研究が続けられましたが、その中から新たな療法も誕生しています。

 1978年にインスー・キム・バーグとド・シェイザーが設立したBFTC(Brief Family Therapy Center)では、SFA(Solution Focused Approach)という新たな心理療法が開発されました。解決志向アプローチとも言われるこの療法は、MRI的ブリーフセラピーに代わって大きく勢力を伸ばしています。 2
家族療法の影響を受けながら発展した心理療法として、ナラティブ・セラピーも多大な影響を各方面に与えています。ナラティブとは物語のことです。問題を抱えた物語(ドミナントストーリー)を書き換え、新たな物語(オルタナティヴ・ストーリー)を構築します。家族療法のひとつとも考えられますが、社会構成主義に基づくアプローチを採用するなど、独自の世界観と手法を構築しています。 3

 NLP(Neuro―Linguistic Programming:神経言語プログラミング)は、ジョン・グリンダーとリチャード・バンドラーを中心に開発された心理療法です。催眠療法家のミルトン・エリクソン、家族療法家のバージニア・サティア、ゲシュタルト療法家のフレデリック・パールズをモデリングして構築されたと言われています。さまざまな療法を参考にして開発されたNLPには多くの療法が混在していますが、催眠を始めとしてエリクソンの影響は大きく見られます。現在NLPは、セラピーだけでなく、自己啓発、コーチング、プレゼンテーションなど多くの分野で活用されています。 4

 このようにブリーフセラピーは、家族療法を中心にMRI、SFA、ナラティブ、NLPなどさまざまな流派が並立する状態となっています。ブリーフセラピーは、さまざまな思想や手法が競い合いながら発展している、ダイナミック(動的)な状態にあるといえるでしょう。 5

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1  ブリーフセラピー各派からは、短期間で成功した事例が多数出されていますが、他の療法よりも効果的であるという決定的なデータがあるわけではありません。ブリーフセラピー派のスコット・ミラーは、多くの心理療法は実際には短期間で終了しており、ブリーフセラピーだけが格別に短期間で終了するわけではないと述べています。

2  BFTC:インスー・キム・バーグとド・シェイザーがMRIを離れて設立したセンター。インスーとド・シェイザーは夫婦。ウィスコンシン州ミルウォーキーにあり、ミルウォーキー派とも呼ばれます。SFA(Solution Focused Approach)が開発されたのは1982年。

3  ナラティブセラピーは、特定の創始者による固有の手法ではなく、ナラティブの考えに基づく多くの手法の総称になります。マイケル・ホワイト、デビット・エプストン、ハーレン・アンダーソン、ハロルド・グーリシャン、トム・アンデルセンなどの活動が有名です。

4  NLPはMRIで開発されたものではありませんが、エリクソンとベイトソンの流れを組むNLPは、ブリーフセラピーと同様のコミュニケーション論を理論的背景として持っており、ここではブリーフセラピーのひとつとして扱っています。

5  戦略派や構造派などの家族療法や、催眠を利用するオハンロンの可能性療法など、ここに挙げたもの以外にもブリーフセラピーと呼ばれるものは多数存在します。

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第2章歴史編 密教の誕生3

後期大乗仏教(密教)
 7世紀に入ると『大日経』や『金剛頂経』などが作られるようになります。『大日経』と『金剛頂経』は、両部の大経と呼ばれる真言密教の基本経典であり、密教経典として、特に日本において重宝されてきました。
 『大日経』『金剛頂経』を純密(じゅんみつ)、それ以前の原始的密教を雑密(ぞうみつ)と区別することもあります。
 また、雑密の時代を初期密教、純密の時代を中期密教、8世紀以降にインドで発展した密教を後期密教と、3つに区分することもあります。チベットには後期密教が大量に流入しましたが、中国や日本にはほとんど取り入れられることがなく、空海以降、日本の密教は中期密教を基本に発展してきました。

 後期大乗仏教の時代、すでにインドでは仏教の衰退が見られます。『西遊記』の物語で有名な玄奘三蔵(三蔵法師)がインドを訪れたのは7世紀前半ですが、著作である『大唐西域記』(だいとうさいいきき)には、すでに祇園精舎などの伽藍の荒廃が記述されています。
 その後法灯を守り続けたインドの仏教は、1203年ヴィクラマシーラ寺院が破壊され、実質的にインドから消滅しました。
 仏教の法灯は、仏教が伝来した各国が守ることとなったのです。

空海の密教
  『大日経』や『金剛頂経』などの密教経典は、中国や日本に伝えられていきます。空海は、奈良の久米寺(くめでら)で『大日経』に出会い、密教に深い関心を持ったと伝えられています。求聞持法(ぐもんじほう)などきびしい修行を行っていた空海は、804年遣唐使とともに唐に渡り、恵果和尚(けいかかしょう)に出会い、密教の後継者と認められたのです。
 恵果が滅した翌806年に、多くの経論、曼荼羅、法具などとともに空海は日本に戻ります。日本にはすでに最澄が密教経典を持ち帰っていましたが、空海は最澄とその弟子たちに灌頂を授けるなど、密教の第一人者として、真言密教を構築していきます。
 空海は、三部書と呼ばれる『即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)』『声字実相義(しょうじじっそうぎ)』『吽字義(うんじぎ)』や、『秘密曼荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)』『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』『般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)』などの著作を著し、真言教学を確立していきました。
 また、四国の満濃池(まんのういけ)の修築を指導したり、世界に先がけて無料の私学である綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を設立するなど、社会的な活動にも力を発揮しています。
 インドに起こった仏教は、1,000年以上の時を経て、日本において真言密教として花開いたのです。

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第2章歴史編 密教の誕生2

南伝仏教(テーラワーダ仏教)
 南伝仏教とは、現在スリランカ・ミャンマー・タイなど東南アジア諸国に普及している仏教の総称です。中国や朝鮮、日本などに伝わった北伝仏教に対して使用される呼称です。
 これらの国では自らの仏教を、上座部仏教やテーラワーダ仏教(長老仏教)と呼んでいます。これは、紀元前3世紀にインドからスリランカに伝わった上座部系の一部派がその起源となっているためです。テーラワーダ仏教では、パーリ語で記述された初期の経典を重視するとともに、『清浄道論』などの新たな論書も重視しています。また大衆レベルでは、仏教理論に加えその地域独自の文化と混在した形で信仰されています。
 南伝仏教(テーラワーダ仏教)は、空海につながる密教とは直接の関係はありません。空海の密教は、北伝の大乗仏教のなかから生まれてきたからです。
 しかし元をたどれば、どちらもブッダに行き着くことは同じであり、無常や無我など、基本的な教義は類似しています。
 
大乗仏教
 大乗仏教は、西暦紀元前後からインドに広がった仏教の変革運動です。その成立過程には諸説ありますが、5世紀頃まで仏教遺跡に大乗教団の名が無いことから、当初は部派仏教教団から独立した存在ではなく,既成の部派内の思想運動であったと考えられます。
 中国や日本に仏教が伝えられたとき、大乗仏教の成立過程などはほとんど伝えられることがなく、経典の成立年代とは無関係に経典が導入されました。
 そのため中国や日本では、ブッダが多数の大乗小乗の経典を説法したとする理解にもとづいて,教相判釈(きょうそうはんじゃく)と呼ばれる、諸経典の比較解釈が行われるようになります。この解釈は、歴史的事実とは当然異なりますが、各宗派の仏教理解の基本となっていることが多いようです。
歴史的に見た場合には、初期の大乗経典として、『般若経』『維摩経』『法華経』『華厳経』『無量寿経』などがあげられます。空を説く『般若経』や、最澄や日蓮に強く信仰された『法華経』、阿弥陀仏を説く『無量寿経』など、現在の日本でも有名な多くの経典が作成されました。

 大乗仏教は、その後思想的理論的発展を続け、中観(ちゅうがん)派と唯識(ゆいしき)派が成立します。
中観派は、空の思想を体系化した流派で、龍樹の『中論』が有名です。部派仏教全盛時代において、大乗仏教の思想的確立に大きな力があったものと思われます。
 唯識派は、瑜伽行(ゆがぎょう)派とも言われるように、認識の直接の対象は識(心)の内にあると考え、瑜伽(ヨーガ)の実践を通して覚りを目指します。末那(まな)識や阿頼耶(あらや)識という、西洋心理学でいうところの深層心理を考え出したことでも有名です。
 また大乗仏教の中では仏性や如来蔵という思想が発展し、人は元々仏となる可能性を宿していると考えられるようになっていきます。大乗仏典の『涅槃経(ねはんぎょう)』では「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」と表現され、衆生のうちには仏の因,仏と同じ本性があるとされています。

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第2章歴史編 密教の誕生1

第2章 歴史編
1.密教の誕生

 平安時代の始め、空海は、それまであった既存の仏教を「顕教」と呼び、自らの新しい仏教を「密教」と呼びました。密教は、当時の革新的な新しい仏教であったわけです。空海が根本経典とした『大日経』と『金剛頂経』は、密教の代表的な経典として扱われるようになっていきます。
最澄を祖とする天台宗においても密教は導入され、日本では天台宗の「天台密教」と、空海を祖とする真言宗の「真言密教」の2つの系統ができていきます。
 仏教はブッダを祖とする教えですが、ブッダの死後、さまざまな教えに変化・発展していきます。ブッダから空海まで1,000年以上の時の流れがあり、仏教の世界にも大きな変革が見られます。
 空海は、仏教の変化・発展を踏まえて、多様な仏教思想を前提として真言密教を創造していきます。そこでまず、ブッダから空海に至る仏教の歴史の概略を確認することで、真言密教の前提となる多様な仏教思想の一端を見ることとします。

初期仏教時代
 仏教の開祖ブッダ(ゴータマ・ブッダ)は、約2,500年前、釈迦族の王子としてインド・ネパール地方に誕生しました。ブッダ(buddha)とは、目覚めた人(覚者)という意味があり、漢字では「仏陀」と表記されます。ブッダは、その名をゴータマ・シッダールタとも伝えられ、釈迦、釈迦牟尼、釈尊などの呼称でも呼ばれています。
 ブッダの生没年は、紀元前463~383年頃、紀元前566~486年頃、紀元前624~544年頃など諸説あり、正確な年代は不明です。
 
 ブッダ本来の教えを原始仏教や根本仏教とも呼びますが、ブッダは文字(書)を残していないため、今となっては、数百年後に作成された経典類から類推するしかないわけです。ブッダは、対機説法といって、相手に合わせてさまざまな形で法(仏教の教え)を説いたと言われています。それらは当初口伝として伝えられ、ある時期から文書として残されるようになったのです。

 ブッダ入滅後100年ほど経つと、仏教教団は分裂を始めます。伝統的保守的な上座部(じょうざぶ)と進歩的革新的な大衆部(だいしゅぶ)という大きな2つの流れがあり、上座部と大衆部は、さらに細かく分裂していきました。仏教教団の分裂の詳細は伝承によって異なりますが、北伝(中国等に伝わった仏教)によれば、上座部は11部、大衆部は9部に分派したと伝えられています。
 このように多くの諸派が分立した時代の仏教を、現在では部派仏教と呼んでいます。

 部派の教義は、『阿含経』という形で残され、初期の仏教を知る重要な資料となっています。
 北伝の漢訳阿含経は、『長阿含(じょうあごん)経』『中阿含(ちゅうあごん)経』『雑阿含(ぞうあごん)経』『増一阿含(ぞういちあごん)経』の4種(四阿含経)として伝えられています。
 南伝の仏教は『長部(ちょうぶ)経典』『中部(ちゅうぶ)経典』『相応部(そうおうぶ)経典』『増支部(ぞうしぶ)経典』『小部(しょうぶ)経典』が、パーリ語という言語で伝えられています。

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第3章思想編 真言密教の思想 7

戒律
 戒律とは、仏教における修行規範や教団の規則のことです。本来、戒と律は別の言語で、戒は自律的に守ろうとする修行規範、律は仏教教団(サンガ)のための集団規則でした。したがって仏教徒であれば、出家在家を問わず戒は守ろうとするものですが、律は仏教教団(サンガ)という組織維持に必要な規則であり、仏教教団(サンガ)に所属する出家者だけが守るべきものでした。

 心理療法の世界で戒に近いものとして、倫理規定などが考えられますが、倫理規定がクライアントへの配慮を中心とするものであるのに対し、戒は自分自身の修行のために守るものという違いがあります。その基盤には信(信仰)の精神があると考えられ、それは心理療法には無い世界であると思います。

 伝統派のテーラワーダ仏教では現在でも初期の戒律を守ろうとしていますが、大乗仏教では戒と律が必ずしも明確に区別されず、また大乗戒と呼ばれる、さまざまな独自の戒が作られるようになっていきます。
 密教にも独自の戒があり、『大日経』のなかには、「四重禁戒」と呼ばれる4つの戒が説かれています。

1、 密教の正しい法を捨ててはならない
2、 菩提心を捨ててはならない
3、 法を伝えることを惜しまない
4、 生きとし生けるものを害さない

という内容であり、この戒を破るものは菩薩ではないとされています。

 戒は心の規範であり、そこには、菩薩として生きる密教思想が端的に現れているのです。

----コラム---

五戒と十善(戒)

五戒は、初期仏教の時代からある仏教のもっとも基本的な戒になります。
・不殺生(ふせっしょう): 故意に生き物を殺さない
・不偸盗(ふちゅうとう): 与えられていないものを盗まない
・不邪淫(ふじゃいん):  不適切な性関係を持たない
・不妄語(ふもうご):   うそ、偽りの言葉を言わない
・不飲酒(ふおんじゅ):  酒類を飲まない

十善戒は、元々「十善の道」として説かれていたものを戒として制定したもので、在家者にも心の指針として広く受け入れられています。

・不殺生(ふせっしょう): 故意に生き物を殺さない
・不偸盗(ふちゅうとう): 与えられていないものを盗まない
・不邪淫(ふじゃいん):  不適切な性関係を持たない
・不妄語(ふもうご):   うそ、偽りの言葉を言わない
・不綺語(ふきご):    口先だけの無益な言葉を発しない
・不悪口(ふあっく):   悪口、粗野な言葉を発しない
・不両舌(ふりょうぜつ): 人を仲違いさせるようなことを言わない
・不慳貪(ふけんどん):  もの惜しみ、貪(むさぼ)りを離れる
・不瞋恚(ふしんに):   怒り、嫌悪を離れる
・不邪見(ふじゃけん):  よこしまなものの見方をしない

十善は、身体(身)に関するもの、言葉(口)に関するもの、心(意)に関するものに分けることができます。

身体(身)に関するもの三つ: 不殺生、不偸盗、不邪淫
言葉(口)に関するもの四つ: 不妄語、不綺語、不悪口、不両舌
心(意)に関するもの三つ : 不慳貪、不瞋恚、不邪見

身口意の3つの観点から身心を見つめていくことは、初期仏教の時代からの基本的な方法となっています。

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第3章思想編 真言密教の思想 6

三句の法門

 三句の法門は、中期密教の代表的経典『大日経』のなかに登場する文言です。
真言密教では伝統的に、冒頭の「入真言門住心品(にゅうしんごんもんじゅうしんぼん)」で教理を説き、次の「入曼荼羅具縁真言品(にゅうまんだらぐえんしんごんぼん)」以降で実践的修行法を説くとします。三句の法門は、この「住心品」において説かれる、いわば『大日経』のエッセンスになります。

「住心品」の冒頭では、
 「一切智智(仏の智慧)とは、どのようなものでしょうか?」
という質問に対して
 「仏のいわく、菩提心と因とし、大悲を根とし、方便を究竟(くきょう)とす」
と答えます。
 これが三句の法門と呼ばれるものです。

 大意は、「最高の智慧は、菩提心(仏の心)を出発点とし、大いなる慈悲を基本とし、それらを実現する手法を究極の目的とする」となります。
 さらに、「いかんが菩提とならば、いわく、実の如く自心を知るなり」(何が菩提(覚り)かというならば、それは、自らの心をあるがままに知ることである)と続きます。これは、「如実知自心(にょじつちじしん)」という言葉でよく知られています。

 如実とは、あるがままという意味であり、真如と呼ぶこともできます。あるがままに真実を知るということは、仏教の最も根幹にある智慧であり、初期の仏教においても「如実知見」(真実をあるがままに知る)という言葉が使われています。また、大いなる慈悲を基本とすることは、仏教の根本精神になります。
 したがって「住心品」のこの文章は、仏教の基本精神である、慈悲と智慧を端的に述べていると考えられます。

 さらに三句の法門では、「方便を究竟とす」(それらを実現する手法を究極の目的とする)と続きます。ここに実践を重視する密教の立場が鮮明に表現されています。方便(巧みな手立て)が重要なのであって、それが無い教理、教説では、実践の役に立たないのです。
 密教は仏教のなかでも現世重視と言われますが、「今生きているこの世界において幸せになる」ことが大切なのであり、そのために方便(巧みな手法)は欠かせないものなのです。

 ブッダは法を広めるに際して、対機説法といって相手に合わせて法を説いたと伝えられます。これは巧みな方便を駆使したと言えるでしょう。したがって仏教の根本に立ち戻れば、「方便を究竟とす」は当然のことかもしれません。
 しかし仏教が部派仏教、大乗仏教と発展するなかで、理論的哲学的発展が進み、相手に合わせた実践的方便が疎かになった面もあったように思われます。密教はそのような状況に対して、想いや理想を実現する手法が大事なのだと、改めて宣言したのではないでしょうか。

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第3章思想編 真言密教の思想 5

2. 密教の思想
 密教は大乗仏教のひとつとして生まれてきたものですから、密教の思想は大乗仏教の思想と異なるものではありません。原始仏教から部派仏教、大乗仏教に至るまで、すべてブッダの教えを元にしているわけですから、当然そこには共通性が存在します。同時に、大乗仏教として独自の思想発展を遂げてきた以上、そこには初期の仏教とは異なる思想が見受けられます。
 ここでは、大乗仏教(密教)の特徴的な思想をいくつか見ていくこととします。

菩薩行
 一般的に大乗仏教の特徴としてあげられることに、利他の重視(菩薩行)があります。利他とは自利に対する言葉であり、自らに利する(自身の覚りを重視する)立場から、他に利する(他人の救済を重視する)立場への転換になります。
 ブッダは慈悲の心を説き、他人に対しては慈しみの心でもって接することがすべての仏教の基本となっています。ですから利他行はブッダの時代から行われていることであり、大乗仏教の新しい行動ではありません。

 しかし初期の仏教においては、覚りを得て涅槃に往くことが最大眼目であると考えられます。涅槃に往くとは、輪廻転生の繰り返しを離れ、二度と苦であるこの世界に生まれないことを意味しています。死は生によって起こりますから、二度とこの世界に生まれないということは、二度と死なないことを意味します。ですから涅槃に往くことを「不死を得る」とも表現されています。それに対して大乗仏教では、涅槃に往くのではなく、この世に生まれ変わり続けて、人びとの救済を行う菩薩行が重視されるようになっていきます。

 空海は、「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」と、すべての衆生を救済するまで菩薩としての願いを持ち続けると記しています。ここには、菩薩としての生き方がよく現れています。
 大乗仏教(密教)は、菩薩として生きる道なのです。

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第3章思想編 真言密教の思想 4

象徴
 曼荼羅は、形のない心を象徴を使って表したものですが、このような象徴の利用は、密教の大きな特徴になっています。
 仏教では元々仏像は作成されなかったのですが、大乗仏教や仏教美術の発展とともに、多数の仏像が作成されるようになりました。これもひとつの象徴です。
  
 密教では、三鈷杵(さんこしょ)五鈷杵(ごこしょ)などの金剛杵や金剛鈴(こんごうれい)など多くの法具が使用されます。ブッダは火を焚くような修法は行ないませんでしたが、密教では護摩において火も使います。これらもすべて密教の法を現す象徴であり、それぞれに法として意味するところがあるのです。

 このように密教では、教えを文章にして経という形で伝えるだけでなく、さまざまな象徴を使って法を伝えるという手法を使います。密教の「密」なるところ、文字や言葉で伝えられないことを、象徴を利用し、五感のすべてを使って感得するのです。

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第3章思想編 真言密教の思想 3

曼荼羅(マンダラ)

 曼荼羅は、元来、儀礼の際に一時的に土壇を設け,その上に粉や砂を用いて作成されていたものです。現在でもチベット仏教では、砂マンダラを作成し、儀礼が終わると全て壊してしまう様を見ることができます。美しい砂マンダラが崩されていく様子は、仏教の基本思想である無常を感じさせるものがあります。
 しかし中国や日本では、掛け軸に図画する形式のものが一般的となり、仏教美術としても貴重なものとなっています。

 曼荼羅は心の世界を現したものであり、様々な仏が描かれています。本来は心に仏を観るものだったのでしょうが、その観想を象徴を使って表現すると曼荼羅となります。曼荼羅が仏の心そのものを現しているとするならば、それは即ち仏法(真理)そのものを意味することになります。つまり曼荼羅は、密教における法(真理)そのものを表現していることになるわけです。

 古来よりさまざまな曼荼羅が作成されてきましたが、真言密教では『大日経』に基づく胎臓生曼荼羅と、『金剛頂経』に基づく金剛界曼荼羅が中心となります。密教の経典とは、法(真理)そのものを現したものですから、密教経典は曼荼羅の記述であると考えることができます。
 密教では法の伝授などを灌頂という儀式を通じて行いますが、曼荼羅はそのような儀式において使用される他、祈りや観想(瞑想)の対象としても使用されています。

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第3章思想編 真言密教の思想 2

1.密教の特徴

大日如来(毘盧遮那仏)~教主の交代
 一般的に仏教の経典は、仏陀(お釈迦さま)の教えであると記述されています。紀元後に作成された大乗経典であっても、仏陀が説かれた教えとして記述されているのです。
 しかし『大日経』『金剛頂経』では、大日如来(毘盧遮那仏)が教えを説いたことになっています。法を説く主体(教主)が仏陀から大日如来に変更されており、ここにそれまでの仏教と密教との大きな違いがあります。

 大日如来は、(マハー)ヴァイローチャナという言葉の意味から訳したもので、毘盧遮那(びるしゃな)は、ヴァイローチャナという音から訳したものです。仏陀は歴史上実在した人物ですが、大日如来は実在の人物ではありません。仏教の法(教え、真理)そのものを仏として現したものなのです。(これを法身(ほつしん)といいます。)
 つまりそれまでの仏教経典が、歴史的に仏陀が説いたこと、あるいは歴史的事実としては仏陀が説いていなくても、説いたという想定のもとに書かれているのに対して、『大日経』や『金剛頂経』は、歴史的事実ではなく、法(真理)そのものを記述しようとしているわけです。
 密教では、仏陀は真理の法を覚った人ではあるが、仏陀が出現してもしなくても、法(真理)そのものは存在すると考え、それを大日如来として現すのです。

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第3章思想編 真言密教の思想 1

Ⅰ.真言密教の思想
 この章では空海に始まる真言密教の思想を中心に検討していきます。空海の密教は、『大日経』『金剛頂経』を基本にするとはいえ、それまでの中期密教とは明らかに異なる部分があります。ここでは、密教の一般的な特徴と空海独自の密教思想の両方を概観していきます。

1. 密教の特徴
 密教の歴史で述べたように、密教は大乗仏教後期に発展した新しい仏教であり、元々は、それまでの仏教を顕教とし、それに対して用いられた言葉です。しかし現在では密教という用語は、もっと幅広く使用されています。
 例えばチベット仏教では、後期の仏教経典をタントラと呼び、所期の仏教経典(スートラ(経))と区別しています。日本における密教とタントラ仏教は、本来一致するものではありませんが、日本では一般的にこれをチベット密教と呼び、密教という概念で扱うようになっています。 (1)
 このように幅広い概念を持つ密教であり、その解釈は人によって異なるところもありますが、ここでは空海の思想(真言密教)をベースにしながら、密教によく見られる特徴を見ていくこととします。

衆生の秘密と如来の秘密
 密教とは「秘密の教え」という意味ですが、その秘密とはいかなる意味なのでしょうか?
空海は『弁顕密二教論』のなかで、「いわゆる秘密に且く二義あり。一には衆生秘密、二には如来秘密なり。」と「衆生の秘密」と「如来の秘密」という2つの観点から秘密を説明しています。 
 衆生(未だ覚らぬ人)は、煩悩に覆われて真実を観ることができません。このような観点を衆生の秘密といいます。覚りというのは決して隠されたものではありませんが、それを見ることができない人にとっては秘密に見えるのです。
 また、通常の言語では伝えきれない直観や体験の世界、神秘体験などの世界を、それを理解する状況やレベルに達せぬ者にむやみに説くことは、かえって害を及ぼすこともあり、このような観点からは如来の秘密と言えます。神秘体験を追い求めていても覚りには近づきません。我欲のために修行をしていれば、悪しき心を育てることにもなりかねません。
 したがって秘密とは、その内容を真に理解するならば、それは遠くにあるものではなく、自心に具わっているものであり、真摯に修行するならば、自ずから開かれてくるものなのです。密教はその言葉から、何やら怪しげで閉ざされたイメージを持つ人も多いようです。しかし、空海が使用した「密教」という言葉は、決してそのような意味ではないのです。

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(1)  チベット仏教では密教経典を、所作タントラ・行タントラ・瑜伽タントラ・無上瑜伽タントラの4つに分類します。初期密教は所作タントラ、『大日経』は行タントラ、『金剛頂経』は瑜伽タントラ、後期密教は無上瑜伽タントラという位置づけになります。
 真言密教では『大日経』と『金剛頂経』を両部の大経として同格に扱いますが、チベット仏教の分類ではフェーズの異なる経典になります。『金剛頂経』やその一部である『理趣経』では、後期密教につながるような思想が見られます。

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