第2章歴史編 より早い効果を求めて
より早い効果を求めて
平安時代に生まれた密教と、20世紀に生まれたブリーフセラピーでは、その歴史は全く異なります。当然歴史的な接点は全くありません。
しかし密教もブリーフセラピーも、より速く短期間に成果を得たいという要請に応えようとしてきたことでは共通しています。
密教誕生の理由のひとつに、より速やかに覚りに至るということがあります。三劫成仏(何度も何度も生まれ変わってようやく覚りにたどり着く)とするそれまでの大乗仏教に対して、この世において覚りを得るという密教の理念はとても魅力的であり、悩み苦しむ人々からの大きな期待があったと思われます。
一方、ブリーフセラピー(短期療法)は、その名前の示すように、短期間で速やかに治療効果を出すことをひとつの目標としています。
長期に渡る修行や治療という現実のなかで、短期間に速やかに結果を得たいという願いが、密教やブリーフセラピーを生み出す力となったのではないでしょうか。
ブリーフセラピーの源流であり天才療法家と呼ばれたミルトン・エリクソンも仏教の開祖ブッダも、理論家というよりは実践家としての生き方を重視したように思います。
ミルトン・エリクソンは、自身の療法の理論化には積極的ではありませんでした。他では治らなかったクライアントを次々と治したエリクソンは、「理論はクライアントの数だけ存在する」と言って理論化を拒否していました。そしてそのクライアントに合った療法を、その場その場に合わせて使っていったのです。
このエリクソンの姿勢は、対機説法を行なったというブッダを彷彿させます。仏教はブッダの死後、多くの弟子たちによって次々と理論化されていきます。経典が整理編纂され、アビダルマなどの論書が部派ごとに作成されます。ブッダの生存中においても、理論面においては智慧第一と言われたシャーリプトラが中心になっていたと伝えられています。
つまりブッダは、仏教の理論化・哲学化よりも人々が法を聞き、覚りに向かうという実践に関心があったのだと考えられます。
実践を重視したブッダ、エリクソンの姿勢は、現在の多様なブリーフセラピーや、密教のなかにも受け継がれています。
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