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第2章歴史編 密教の誕生1

第2章 歴史編
1.密教の誕生

 平安時代の始め、空海は、それまであった既存の仏教を「顕教」と呼び、自らの新しい仏教を「密教」と呼びました。密教は、当時の革新的な新しい仏教であったわけです。空海が根本経典とした『大日経』と『金剛頂経』は、密教の代表的な経典として扱われるようになっていきます。
最澄を祖とする天台宗においても密教は導入され、日本では天台宗の「天台密教」と、空海を祖とする真言宗の「真言密教」の2つの系統ができていきます。
 仏教はブッダを祖とする教えですが、ブッダの死後、さまざまな教えに変化・発展していきます。ブッダから空海まで1,000年以上の時の流れがあり、仏教の世界にも大きな変革が見られます。
 空海は、仏教の変化・発展を踏まえて、多様な仏教思想を前提として真言密教を創造していきます。そこでまず、ブッダから空海に至る仏教の歴史の概略を確認することで、真言密教の前提となる多様な仏教思想の一端を見ることとします。

初期仏教時代
 仏教の開祖ブッダ(ゴータマ・ブッダ)は、約2,500年前、釈迦族の王子としてインド・ネパール地方に誕生しました。ブッダ(buddha)とは、目覚めた人(覚者)という意味があり、漢字では「仏陀」と表記されます。ブッダは、その名をゴータマ・シッダールタとも伝えられ、釈迦、釈迦牟尼、釈尊などの呼称でも呼ばれています。
 ブッダの生没年は、紀元前463~383年頃、紀元前566~486年頃、紀元前624~544年頃など諸説あり、正確な年代は不明です。
 
 ブッダ本来の教えを原始仏教や根本仏教とも呼びますが、ブッダは文字(書)を残していないため、今となっては、数百年後に作成された経典類から類推するしかないわけです。ブッダは、対機説法といって、相手に合わせてさまざまな形で法(仏教の教え)を説いたと言われています。それらは当初口伝として伝えられ、ある時期から文書として残されるようになったのです。

 ブッダ入滅後100年ほど経つと、仏教教団は分裂を始めます。伝統的保守的な上座部(じょうざぶ)と進歩的革新的な大衆部(だいしゅぶ)という大きな2つの流れがあり、上座部と大衆部は、さらに細かく分裂していきました。仏教教団の分裂の詳細は伝承によって異なりますが、北伝(中国等に伝わった仏教)によれば、上座部は11部、大衆部は9部に分派したと伝えられています。
 このように多くの諸派が分立した時代の仏教を、現在では部派仏教と呼んでいます。

 部派の教義は、『阿含経』という形で残され、初期の仏教を知る重要な資料となっています。
 北伝の漢訳阿含経は、『長阿含(じょうあごん)経』『中阿含(ちゅうあごん)経』『雑阿含(ぞうあごん)経』『増一阿含(ぞういちあごん)経』の4種(四阿含経)として伝えられています。
 南伝の仏教は『長部(ちょうぶ)経典』『中部(ちゅうぶ)経典』『相応部(そうおうぶ)経典』『増支部(ぞうしぶ)経典』『小部(しょうぶ)経典』が、パーリ語という言語で伝えられています。

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