第3章思想編 真言密教の思想 6
三句の法門
三句の法門は、中期密教の代表的経典『大日経』のなかに登場する文言です。
真言密教では伝統的に、冒頭の「入真言門住心品(にゅうしんごんもんじゅうしんぼん)」で教理を説き、次の「入曼荼羅具縁真言品(にゅうまんだらぐえんしんごんぼん)」以降で実践的修行法を説くとします。三句の法門は、この「住心品」において説かれる、いわば『大日経』のエッセンスになります。
「住心品」の冒頭では、
「一切智智(仏の智慧)とは、どのようなものでしょうか?」
という質問に対して
「仏のいわく、菩提心と因とし、大悲を根とし、方便を究竟(くきょう)とす」
と答えます。
これが三句の法門と呼ばれるものです。
大意は、「最高の智慧は、菩提心(仏の心)を出発点とし、大いなる慈悲を基本とし、それらを実現する手法を究極の目的とする」となります。
さらに、「いかんが菩提とならば、いわく、実の如く自心を知るなり」(何が菩提(覚り)かというならば、それは、自らの心をあるがままに知ることである)と続きます。これは、「如実知自心(にょじつちじしん)」という言葉でよく知られています。
如実とは、あるがままという意味であり、真如と呼ぶこともできます。あるがままに真実を知るということは、仏教の最も根幹にある智慧であり、初期の仏教においても「如実知見」(真実をあるがままに知る)という言葉が使われています。また、大いなる慈悲を基本とすることは、仏教の根本精神になります。
したがって「住心品」のこの文章は、仏教の基本精神である、慈悲と智慧を端的に述べていると考えられます。
さらに三句の法門では、「方便を究竟とす」(それらを実現する手法を究極の目的とする)と続きます。ここに実践を重視する密教の立場が鮮明に表現されています。方便(巧みな手立て)が重要なのであって、それが無い教理、教説では、実践の役に立たないのです。
密教は仏教のなかでも現世重視と言われますが、「今生きているこの世界において幸せになる」ことが大切なのであり、そのために方便(巧みな手法)は欠かせないものなのです。
ブッダは法を広めるに際して、対機説法といって相手に合わせて法を説いたと伝えられます。これは巧みな方便を駆使したと言えるでしょう。したがって仏教の根本に立ち戻れば、「方便を究竟とす」は当然のことかもしれません。
しかし仏教が部派仏教、大乗仏教と発展するなかで、理論的哲学的発展が進み、相手に合わせた実践的方便が疎かになった面もあったように思われます。密教はそのような状況に対して、想いや理想を実現する手法が大事なのだと、改めて宣言したのではないでしょうか。
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