第3章思想編 空海の独自思想 1
3. 空海の独自思想
空海は中国(唐)で恵果から直々に密教を伝授され、日本に戻って真言密教を確立しました。恵果から伝えられた『大日経』『金剛頂経』を基本経典とし、その教義を引き継ぐとともに、独自の真言密教教義を多数の書により表しています。
空海の密教思想を最も端的に現す書として、『即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)』『声字実相義(しょうじじっそうぎ)』『吽字義(うんじぎ)』の三部書があげられます。そこでこの三部書を参照しながら、空海の思想を見ていくこととします。
『即身成仏義』
「即身成仏」という言葉は、空海の思想を語る場合に頻繁に引用される重要なキーワードになります。
『即身成仏義』は、最初に空海の偈頌(げじゅ)があり、その後にその偈頌を解説するという形式になっています。『即身成仏義』の偈頌は、次の言葉で始まります。
六大無碍(ろくだいむげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり
四種曼荼(ししゅまんだ)各(おのおの)離れず
三密加持(さんみつかじ)して速疾(そくしつ)に顕(あら)わる
重重帝網(じゅうじゅうたいもう)なるを即身と名づく
「六大無碍にして常に瑜伽なり」
この偈は、この世界の存在のあり方を端的に表しています。空海は、世界の構成要素を五大に識大(精神要素)を加えた六大とします。五大とは、地・水・火・風・空 の五つを意味します。大乗仏教では一般に、世界はこの五つの要素から成り立つとします。空海はこれに識(精神要素)を加え、この世界の本質的な存在(実在)の象徴として六大を使用しています。
空海は、この六大が、常に無碍瑜伽であるといいます。無碍瑜伽とは、互いにさまたげることなく自在に渉入し合う様を現しています。この世界の本質的な存在(実在)は、他と関係なく独立しているのではなく、互いに関係し合うなかで存在しているのです。
識大は、「因位を識と名づけ、果位を智という。智即ち覚なるが故に。」と説明されています。つまり、「因位(いまだ覚らぬ衆生の段階)においては識と呼び、果位(さとりの段階)においては、それを智と呼ぶ。智とは即ち覚りである。」ということです。したがって識大は、覚りへの智慧を意味すると考えられます。
五大と識大は、色と心(物質と精神)とも解されます。空海は「心・色異なりといえども、その性即ち同なり。色即ち心、心即ち色」(精神と物質は異なるものであるが、その本質を見れば異なるものではない。物質は精神であり、精神は物質である。)と説いています。
つまり、この世界を物質と精神に2分して考える身心二元論ではなく、色心(物質と精神)の区別を超えた世界を、この世界の本質と空海は観ていることになります。
また、「能所(のうしょ)の二生有りといえども、都て能所を絶えたり」とあります。能所とは、能生(のうしょう)と所生(しょしょう)のこと。能生とは、この世界を生み出す主体であり、所生とは、この世界の現象・生み出された客体のことです。
しかしそのような区別も、本質から見ればないというのです。この世界の存在は、「生みだすもの」と「生み出されたもの」という別々のものではなく、すべての存在(一切の存在)は、互いにさまたげることなく渉入し合って存在しているのです。
空海は、このように無碍瑜伽(相応渉入)する存在のあり方を「即」の意味だとしています。
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