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第3章思想編 空海の独自思想 8

次にこの4字の字義(本質)を順次明らかにしていきます。
4字の字義は、「不可得」という言葉にまとめることができます。

・ 訶字:一切諸法因不可得(いっさいしょほういんふかとく)
・ 阿字:本不生不可得(ほんぷしょうふかとく)
・ 汙字:一切諸法損減不可得(いっさいしょほうそんげんふかとく)
・ 麼字:一切諸法吾我不可得(いっさいしょほうごがふかとく)

訶字一切諸法因不可得(かじいっさいしょほういんふかとく)
 「訶字一切諸法因不可得」 とは、原因の原因を探っていったとき、究極の原因を明らかにすることは出来ないということです。
 結果には原因があります。その原因には、その原因を引き起こす原因があります。そのように原因の原因をたどって行っても、究極の原因は出てきません。なぜなら、究極の原因を見つけたとしても、「その究極の原因はどのようにして出来たのか?」と考えると、その元となっている別の原因が出てくるからです。
 空海は、「訶字は無因待(むいんだい)を以て諸法の因とす」 と説き、あらゆる存在に、固定的実体的な原因のないことこそ存在の真の原因であるとします。

阿字本不生不可得(あじほんぷしょうふかとく)
 「阿字本不生不可得」とは、ものごとが生じるその本となるところを探っていっても、やはりその始まりは見いだすことができないということです。
 しかし世界は現に存在すると考えるならば、世界の存在の根源・本初は、因縁から生じたのではなく、本から不生と考えるしかありません。もし世界の始まりがあるとしたならば、その始まりが起こるための原因が必要になります。しかし、それは世界の始まりの前に何らかの原因があることになり、世界の始まりと矛盾します。したがって世界の根源を徹底的に追究したときには、世界はある瞬間に生じた(創造された)のではないと考えるしかないのです。

(仮に、宇宙がビッグバンによって生じたとしても、ビッグバンが発生する前の世界を考えれば、ビッグバンが世界の本初であるとは言えないのです。)

 この不生であるあり方を「本不生際(ほんぷしょうさい)」ととらえ、空海は、「本不生際を見る者は、是れ実の如く自心を知る。実の如く自心を知るは、是れ一切智智なり」 と述べて、不可得である本不生際を知る智慧を説いています。   
 つまり覚りの段階においては、世界の根源は因縁によって生じたものではなく、本から不生であると見るのです。そしてそれは、自らの心をすべてありのままに見通し、自心を知り尽くすことであるといいます。そのように自らの心を知り尽くす者こそ、一切智智(すべてを知る者)、すなわち仏なのです。

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