第3章思想編 コミュニケーション心理学の思想 1
Ⅱ.ブリーフセラピー(コミュニケーション心理学)の思想
ブリーフセラピーはグレゴリー・ベイトソンの思想や理論を基盤として発展してきた心理療法であり、コミュニケーション論が大きな柱となっています。ベイトソン以降、ブリーフセラピーは様々な形に発展していますが、そこには一貫してベイトソンの思想が流れています。ここではベイトソンの思想を中心にしながら、各種ブリーフセラピーの代表的な思想を見ていくこととします。
1.コンテキスト
ブリーフセラピーは、グレゴリー・ベイトソンのサイバネティクス(通信制御工学理論)、コミュニケーション論、システム論などを理論的なベースとしています。ベイトソンはサイバネティクスやシステム論の考えを取り入れながらコミュニケーション論を確立していきますが、その際に大きな影響を与えたのは、ラッセルの論理階型理論です。
ラッセルはホワイトヘッドとの共著『数学原理』(Principia Mathematica, 1913.)のなかで、論理階型論を展開しています。論理階型論は、「要素の集合全体は、その集合の要素となりえない」という理論です。「メンバー」と「メンバーが集合したクラス」は論理階型レベルが異なり、混在は避けなければいけないとしたものです。
例えば図形というクラスのメンバーとして三角や円があるとき、図形という階型と三角という階型は、明らかに異なります。三角というクラスにメンバーとして正三角形や二等辺三角形などがある場合は、三角と正三角形はクラスが異なります。個と集団、人と人類なども階型が異なるものとなります。
しかし「すべてのものを含む集合」は、「すべてのもの」の中に、自分自身も含まれることになります。自分自身も世界の一員であるならば、当然「すべてのもの」の中に含まれるからです。したがって、「すべてのものを含む集合」は、メンバーのなかにクラスが混在するというパラドックス(矛盾)が生じます。このようなパラドック研究は、ラッセルの得意とするところです。
階型の混在は避けなければいけないとする数学理論に対して、コミュニケーションにおいて階型の混在は、頻繁に生じるとベイトソンは考えました。これは、自然言語において言葉は多義的であり、同じ言葉が異なる意味、異なる階型で使用されているからであり、そのことを意識せずに使われているからです。
例えば「コミュニッケーション」という言葉は、日常の用語では会話や対話の意味で使われますが、ITの世界では、より広範囲なメッセージ交換システムの意味で「コミュニケーション」という言葉は使われます。しかし同じ「コミュニケーション」という言葉を使ったときには、混在して使われる可能性があります。これはコミュニケーションギャップの大きな要因となりうるのです。
二十世紀紀最大の哲学者とも称されるウィトゲンシュタイン(1889~1951)は、後期の著作『哲学探究』のなかで「言語ゲーム」という概念を打ち出します。言語は言語そのものに意味はなく、ゲームのなかで始めて意味をもちます。「チェックメイト」などのチェスの用語は、チェスというゲームのルールの上に意味が生じるのであって、「チェックメイト」という言葉そのものに意味はありません。チェスというゲームが無くなれば「チェックメイト」という言葉は意味を持たなくなりますし、チェスというゲームのルールを変えれば、「チェックメイト」の意味を変えることも可能です。
このようにゲームという観点から言語を考えていくと、言語は言語単独で意味を持つのではなく、ある状況(ゲーム)を前提として意味を持つことになります。言語を、使用される状況や文脈との関係から捉える言語論は「語用論(プラグマティズム)」と言われます。
この語用論的なコミュニケーションをベイトソンも受け継ぎ、ブリーフセラピーの中心的な理論となっていきます。
ベイトソンはコミュニケーションをコンテキスト(文脈・背景)の観点から説明します。言葉そのもの(コンテンツ)には意味がありませんが、言葉に意味を与えるもの(コンテキスト)が存在します。
しかしひとつの言葉(コンテンツ)に対して、ひとつのコンテキストとは限りません。「学校に行きたくない」という言葉は、本当に学校に行きたくないと思っていることもあれば、行きたいけれども抵抗があるということもあります。あるいは、「学校に行きたくない」という言葉によって相手の関心を引きたい、つまり「もっと私に注目して。私を可愛がって。」ということを訴えたいこともあります。
このように言葉は状況によって意味が変わるものであり、送り手と受け手がさまざまなコンテキストのなかで言葉を交換することになります。メッセージの送り手は、自分が発している言葉であっても、そのコンテキストに気づいていないこともよくあります。
「あなたのためを思って、私は厳しく言っているのよ。」と子どもに向かって言っている親は、実際自分ではそう思っているかもしれませんが、心のなかには、「他人から、だらしのない親、子どもの教育も出来ない親と見られたくない」という思いがあるかもしれません。人は自分を正当化する理由を作り出し、それを真実だと思い込むところがあります。したがって、自分が発する言葉のコンテキストに自分で気づかないということが発生するのです。
このようにコンテキストは、自分でさえ気づかないこともあり、また相手に正確に伝わらないことがあります。言葉(コンテンツ)の交換が正確に行なわれても、お互いのコンテキストが異なる場合、そこにコミュニケーションギャップが生じます。
ラッセルの唱えた論理階型も、コミュニケーションの世界ではコンテキストとして把握することができます。階型が異なるということは、コンテキストが異なることを意味します。そして先にも述べたように、階型の混在はコミュニケーションにおいては、頻繁に生じているのです。
ベイトソンは言葉の背後にあるコンテキストから、コミュニケーションを深く洞察していきます。
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