第3章思想編 コミュニケーション心理学の思想 6
5.社会構成主義
ベイトソンのコミュニケーション論やシステム論は、すべてのブリーフセラピーの基盤となるものですが、それに加えて、ナラティブ・セラピーやSFA(Solution Focused Approach)などでは、社会構成主義の思想をベースに心理療法を開発しています。
社会構成主義は、バーガーとルックマンの『現実の社会的構成』をひとつの始まりとする一連の思想を意味します。社会心理学者であるケネス・ガーゲンは、社会学と心理学を融合した思想や理論を発表し、社会構成主義に基づく心理療法に多大な影響を与えています。
社会構成主義の基本的な主張は「現実は社会的に構成される」ということです。私たちが生きるこの世界は、他者との相互交流を通して構成されるもので、他と切り離された「個」単独が現実を創りだすことはないと考えます。
このような社会構成主義の思想は、西洋に伝統的に伝わる“心身二元論”、“経験主義”、“合理主義”のいずれをも批判する、ポストモダニズムの思想のひとつと考えることができます。
身心二元論は、世界は精神と物質の二種類から構成されると考えます。しかし、精神が物質に影響を与え、物質が精神に影響を与えるならば、その交流のメカニズムを明らかにする必要があります。
物質でない精神は、どのようにして物質に物理的変化をもたらすのか?
物質は、どのような仕組みで物質でない精神にメッセージを伝えるのか?
身心二元論では、物質と物質でないものの間にコミュニケーションが必要となりますが、その相互作用する仕組みは説明されていません。
経験主義の立場では知識や認識は経験によって生まれると考えます。確かに多くの知識・認識は経験によって生まれます。しかし経験の認識は、ひとりひとり異なるものです。同じ花を見ても、植物学者と芸術家では、まったく違う認識が生まれるでしょう。したがって経験によって得る知識やイメージは、ひとりひとりに異なる世界を生みだします。そして、私たちはひとりひとり固有の世界を持っていますが、その世界を互いに確認することは不可能です。このことは経験主義から「あるがままの世界」、真理の世界を語ることは困難であることを意味します。全員が共通して持つ真理という存在を、確認することができないからです。
また私たちは、「気分が高揚する」「気分が落ち込む」というように、「上は良」「下は悪」というメタファ(隠喩)を使っています。このようなメタファは、全員が共通して経験したものではなく、先天的な概念として保持しているようです。経験主義だけから世界を語ることは、やはり難しいようです。
合理主義の立場では、世界を直接に経験するのではなく、経験に先立つ理性(概念)の存在により、世界の真理に到達できると考えます。私たちが認知している世界は、私たち個々が認識している世界であって、世界の本質的な姿そのものではありません。アルフレッド・コージブスキーが「地図と土地は別のものである」というように、脳が認識していること(地図)と世界そのもの(土地)とは明らかに異なります。
それでは合理主義のように、先天的な合理的理性によって真理に到達できると考えることが正しいのでしょうか? そうであるならば、その先天的合理的理性を明らかにする必要があります。
数学がその理性を表すと考えられたこともありました。科学万能時代には、数学的思考こそ世界を解き明かし、真理に到達する道であると考えられました。しかし、数学のなかにもユークリッド幾何学や非ユークリッド幾何学があるように、絶対的真理を解く数学は存在しません。数学は、ある体系のなかの真理を明らかにすることはできても、その体系自体の正しさは証明できないのです。
このように考えていくと、合理主義が世界を明らかにするとは、もはや言えないのです。
社会構成主義はこれらの立場を離れ、「あらゆる現実は、言説に媒介された相互行為によって構成される」 と考えます。すでに存在する現実を認識するのではなく、言葉による記述(物語り)が現実の世界を構成すると考えます。
「ゲーム」という概念を使用するならば、事実とは不変的な事実ではなく、「事実ゲーム(特定の限られたゲームの中にある事実)」として存在するのです。
ケネス・ガーゲンは、社会構成主義の4つのテーゼを次のように規定しています。
1. 私たちが世界や自己を理解するために用いる言葉は、「事実」によって規定されない。
2. 記述や説明、そしてあらゆる表現の形式は、人々の関係から意味を与えられる。
3. 私たちは、何かを記述したり説明したり、あるいは別の方法で表現したりする時、同時に、自分たちの未来をも創造している。
4. 自分たちの理解のあり方について反省することが、明るい未来にとって不可欠である。
社会構成主義では、他から切り離された「個」としての存在を認めていません。存在は、言語による事実(言語ゲーム上の意味)としてしか語ることはできないからです。
一般的には、「心」は個の中に存在すると考え、個の中にある「心」と、他の個の中にある「心」がコミュニケートすると考えます。しかしそれでは、関係の前に個としての存在があることになります。
社会構成主義の立場では、そうは考えないのです。他から切り離された「心」は存在しません。「心」は世界との関係の中で始めて意味を持つことができます。少なくとも人の認識においては、関係の中で意味を見出す以外にないのです。
以上概観してきたように、ブリーフセラピーでは、システム論やコミュニケーション語用論、社会構成主義などを理論的な基盤としています。これらの理論に共通するキーワードは「関係」です。すべては「関係」のうえに存在しているのであり、事実は関係を通してしか考えることはできないのです。
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