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第3章思想編 コミュニケーション心理学の思想 5

4.精神というシステム

 ベイトソンは、ユングの『死者への7つの語らい』を引用しながら、力と衝撃によって支配される物理的領域に対して、精神は対比や差異によって支配される領域であるとしています。そして「説明の本質が<情報>ないし<比較>にあるようなところには、かならず精神過程があるとみる。」と精神活動を情報の観点から述べています。そしてその情報を「差異(ちがい)を生む差異(ちがい) (a difference which makes a difference)」と定義しています。
 情報と差異の関係をベイトソンは「インク自体は信号でもメッセージでもない。紙とインクのあいだにある差異こそが信号なのだ。」という例をあげて説明しています。
このように物理法則ではなく差異の認識によって動く精神を、ベイトソンは「精神とは相互に反応する部分ないし構成要素の集体である。精神プロセスとは常に部分間の相互反応の連続である。」と定義しています。そして精神の動きを「精神の各部の間で起こる相互反応の引き金を引くものは差異である。精神は差異の知らせしか受容しない。」と見ています。

 ベイトソンは、精神を皮膚の内側(身体内)だけに働くものとは考えていません。例えば人が斧で木を切るとき、その人の精神はどこに存在すると考えられるでしょうか。
脳の中に精神はあるのでしょうか?
斧を持つ指先までが精神の存在場所でしょうか?
自分が持っている斧まで含まれるのでしょうか?
斧を打ち込む木にまで精神は及ぶのでしょうか?

 人が斧で木を切るとき、無数のメッセージが人と斧と木の間を行き交っています。人(の精神)は、そのメッセージを受け取りながら、斧の持ち方、力の入れ方、打ち下ろす角度、刃先を入れる位置などを決定していきます。斧が木に触れた後も、その衝撃、感触、皮のめくれぐあいなど、無数のメッセージが視覚、聴覚、触覚などを通じてフィードバックされ、そのメッセージによって認識が変化し、力の入れ方などが変化していきます。
 このように、人、斧、木などを含むシステムのなかに無数の差異が存在し、その差異が生むメッセージによって精神は動いています。このとき精神は、身体外部と切り離されたものではなく、外部からのメッセージ(フィードバック)とともに存在していると考えられます。ここからベイトソンは、精神という存在を、皮膚の外側の経路と、そこを運ばれてくるメッセージを含めた、ひとつのシステムとして考えます。精神は身体内にのみ存在すると考えるのではなく、もっと大きなシステムとの相互作用のなかで考えていく必要があるのです。

 さらにベイトソンは、精神のユニットが進化における生存のユニットと同じであると主張します。「精神」とよんでいるもののありかが、大きな生のシステム-生態系―の全体であるとするならば、そのシステムの輪郭線を別のレベル(階型)で引いてみれば、進化構造の全体に精神が行きわたっていると考えることができると主張したのです。
このように「精神」をシステムとする立場からは、「最広義の「精神」にはさまざまなサブ・システムが階層をなして積みあがっており、そのどれもが「一個の精神」と呼びうる」と理解することができるのです。

 ベイトソンは、世界を物理的領域と精神的領域に分けて説明していますが、身心二元論に立っているわけではありません。私たちの宇宙は、物理的に決定されるだけでなく、それに加えて(そしてつねにそれと相伴うかたちで)心的にも決定されると主張しているのです。その心的特性とは、超越者から与えられるものではなく、この世界に内在するものです。しかしそれは、この世界を構成する最少粒子が精神的な特性を持つということではありません。ベイトソンの見る心性とは、この世界にある関係のみが持つ機能のことなのです。 (1)

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(1)   『精神の生態学』「形式、実体、差異」p.618–619

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