第3章思想編 空海とコミュニケーション心理学の思想3
不可知なる真実の存在
社会構成主義は、語用論的なコミュニケーション論を展開しますが、存在に関して、大きく二つの思想に分けることができます。
浅野智彦氏は、社会構成主義の命題を「あらゆる現実は、言説に媒介された相互行為によって構成される」とした上で、2種類の命題を提示します。
1.事実の有無自体も相互行為によって構成される。
2.事実の有無自体は不可知論をとる。
「事実の有無自体も相互行為によって構成される」という立場では、言葉(言説)が無ければ客観的世界も存在しないと考えます。世界は常に言葉(言説)とともに存在するのであって、言葉(言説)が現れないときには世界も事実として存在しないと考えます。
これは、主観的な世界と客観的な世界の二元論的思想を完全に排するという面では徹底していますが、「認識とは関係なく、物理的・客観的に世界は存在する」と考える人には、受け入れがたい思想と思われます。
ケネス・ガーゲンは、言葉(言説)の無い世界は認識することが不可能なので、「事実の有無自体は不可知」としています。つまり人間が認識できる範囲以外のことは語らないという姿勢です。これは穏当な考え方ではありますが、人間には認識できない世界の存在を感じさせるところがあります。
いずれにしても社会構成主義では、「唯一絶対の事実」というものを認めていません。事実は常に言説とともにあるのであり、言説が変われば事実は変わります。
心理療法的なアプローチでは、常にその相対的な立場を維持し、言説(コミュニケーション)によって、物語りを書き換えていくことになります。
仏教の世界では「因分可説・果分不可説(いんぶんかせつ・かぶんふかせつ)」といい、覚りの真実の世界は言葉で表すことができないとするのが一般的です。(因分は未だ覚らぬ衆生の段階、果分は覚りの世界)。空をコンテキストの観点で考えた場合も、言葉で表すことはできませんでした。
そもそもブッダは、現象していることではない形而上学的なことに対しては「不可知」とする姿勢を取ってきました。ブッダは、瞑想や智慧によって通常の人間が認識できる範囲を遥かに超えた世界を認識しましたが、その究極的な認識力をもってしても理解できない世界、人間が本質的に理解できない世界については不可知としています。
このような仏教の世界観は、社会構成主義の「あらゆる現実は、言説に媒介された相互行為によって構成される」と「事実の有無自体は不可知」とするケネス・ガーゲンなどの説に相当すると考えられます。
この現実世界に現象するものは「縁起≒相互行為」によって構成され、この世界の本質「果分(真如)≒事実の有無」は不可説となります。
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