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第4章技法編 密教の技法 4

1.密教の技法 - 心理療法の観点から
  1.三密加持
    2.阿字観(阿息観、月輪観、阿字観)


 以上見てきたように、阿字観の手法そのものは単純なものです。真言・陀羅尼として「阿」を唱え、清浄なる月輪を観ずるものです。

 特に初心においては、理屈を考えることなく、ひたすら「阿阿...」と唱えることが求められています。この指導は、戒定慧(戒律、禅定、智慧)の定を強く意識したものだと思われます。思考をめぐらしていては禅定の境地に入りにくいのです。そのため、ひたすら「阿阿」と唱えるように説かれているのでしょう。しかし熟達する過程で、本不生を明確に観じていくことが肝要です。

 また、音や字を使う「阿息観・月輪観・阿字観」は、いずれも有相の観法であり、阿字本不生である無分別智そのものではないことに注意する必要があります。いつまでも音や文字の実体にとらわれていては、真の覚りへと向かうことが出来ません。有相の観法を通じて無相に至り、阿字本不生を覚ることが大切でしょう。

 覚鑁の『無相観頌』には、「初観の時には月に似たれども、周遍の後には更に方円なし」とあり、月輪などを離れた覚り(無分別智)の境地を示されています。
 
 広観の手法を使うならば、月輪を宇宙全体にまで拡大したとき、月は宇宙であり宇宙は月となります。その時宇宙と月の境界は無くなり、月輪は存在しなくなります。有である月は、宇宙そのものになったとき、すでに有ではなく、また無でもない。つまり無分別の智が観想上に現れるのです。

 コンテキストという言葉を使うならば、月輪(自心)は、宇宙というコンテキストによって存在するコンテンツと見ることができます。月輪(自心)が宇宙と一体となった瞬間に、コンテキストとしての宇宙は存在しなくなり、同時にコンテンツとしての月輪(自心)も存在しなくなります。しかし宇宙や月輪(自心)が全く無になったわけでもありません。

 コンテキストとコンテンツの区別が無く、無でもなくまた有でもない世界、即ち二元論を超えた世界がそこに存在します。

 これにより「自」と「他」が分離したものではなく、互いに関係し合う存在であることを感得することができます。これは、縁起・相応渉入・瑜伽する状態であり、社会構成主義の主張する「関係としての存在」を表すものでもあります。

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