第4章技法編 密教の技法 2
Ⅰ.密教の技法 - 心理療法の観点から
2.阿字観(阿息観、月輪観、阿字観)
真言密教は瞑想の宗教であり、三密加持も瞑想のひとつと考えられます。しかし三密加持を実現する多くの行法は在家者に伝授されることはなく、唯一阿字観だけが瞑想法として公開されています。心理療法の観点から密教修法を見た場合に、阿字観は最も採り入れやすい手法のひとつであると考えられます。
阿字とは、世界の本源であり、大日如来を現します。阿字を観想する方法を明記した最初の書物は『菩提心論』と思われます。 行法次第が本格的に確立されるのは、『阿字観用心口決』以降であり、以後多くの論者が『阿字観用心口決』を引用して阿字観論を展開しています。特に「内観の聖者」と呼ばれた興教大師覚鑁(かくばん)上人 は、阿字観を非常に重視し、即身成仏の観法として、阿息観、月輪観、阿字観を詳細に説いています。
阿字観は、阿字を観ずることによって、生ずることも滅することもないという「阿字本不生」を観ずる瞑想法(観法)です。如実知自心(本源的な自心を知ること)により即身成仏を知ります。「阿」は本源即ち仏(大日如来)であり、「阿」と一体となることで三密加持の実践となるわけです。
また、『声字実相義』に「五大は皆響きあり、十界に言語を具す、六塵ことごとく文字なり、法身は是れ実相なり」とあるように、真言密教では、この世界には声(響き)と文字があり、声字は実相であると説きます。阿字観は、「阿」という真言を通じて声字実相を体現する瞑想法ともなっています。
現在、阿字観として伝えられる行法には、阿字の音声を観ずる阿息観、阿字の形相を観ずる月輪観、阿字の意義を観ずる阿字観の3種類があります。覚鑁は、「息はすなわちこれ命なり」と最終臨終のときも、息の出入とともに阿を観ずるように説いています。
密教の行法は、身心ともに健康で機根のある人に授けるものという考えかたもあります。実際、道場での修行にはそれなりの身心が必要だと思われます。しかしそれだけでは、すべての人を救う道にはなりません。覚鑁の「ただ息のなかに阿を観ずる」という方法は、道場のなかだけでなく、いつでもどこでも、そして臨終の間際にでも行うことが可能なものです。それは格別の修行を積んでこなかった人にも開かれた道なのです。
覚鑁は、阿字観こそ、すべての人々を救う即身成仏の瞑想法だとされたのです。
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